このブログを始めたのがちょうど一年ぐらい前で、当時は結構な頻度で書き続けていましたが、去年の後半は何故か「書きたい」というエンジンが完全に停止しました。結局、自分の気持ちに抗して無理に書いても全く意味がないので、ブログをそのままに放置していました。しかし、実は年末から年始にかけて5週間ほど、またスピリチュアルな巡礼の旅に出かけていまして、年が明けたこの時期になってようやっとまた「書きたい」という気持ちが戻ってきました。

 

 

 一つの話でも小分けにしてちょっとずつ掲載すれば、ブログ更新の頻度も上がって、当然、ブログのランキングみたいなものも改善すると知人に言われたのを憶えています。しかし、元々、このブログで商売をしているわけでも、人気者になろうとしているわけでもなく、誰かの心に届いてくれればそれでいいと思って掲載している感じです。僕的には、チャネリング的にエネルギーを流しながら「徒然なるままに」書いておりまして、そのフローが切れないよう、一つの話は、たとえどんなに長くなっても一気に書き下ろしてしまいます。そして、そのフローを温存してそのままブログに載っけている感じですので、どれも結構長い文章になることが多いです。ですので、お時間がたっぷりある時に読まれてください。

 

 

 さて、今回と次回はヨルダンのお話をさせていただきます。

 

 昨年の11月末から5週間かけてイスラエルへ巡礼の旅に出かけました。元々は2020年に行く予定だったのですが、コロナによって万事が停止・遅延しまして、結局、昨年末にやっと実現したのでした。2019年末のヨーロッパへの巡礼旅の文章を読まれた方なら、「またなのね」と頷いてくださるかも知れませんが、今回の旅も明らかに「呼ばれた」旅でして、その準備段階でクレアコグニザント的にいろんな情報がどんどん降ってきていて、蓋を開けてみましたら、とても中身の濃い旅となっていました。その取っ掛かりが「せっかく中近東に行くんだから、隣国のヨルダンにも立ち寄りたいよね。」というなんでもないアイデアでした。

 

 

 まずは、ここオーストラリアからドバイ経由でイスラエルのテルアビブに行くように手配しましたが、到着したその日の夜の便でヨルダンのアンマンに向かうようにロイヤル・ヨルダン航空の航空券を更に購入してみました。こうして言葉で言うと至って簡単なのですが、実際に赤道を越えて、空を越えて、生暖かい深夜1時にアンマンのクイーンアリア空港に到着した時には、もう長旅と時差ぼけで身体がボロボロで、「とにかく何も要らないから、ホテルのベッドに横になりたい」という切望しか残っていませんでした(笑)。

 

 空港からアンマンの市街地まではタクシーで40分くらいなのですが、窓外の寝静まった真っ黒な街の至る所で、モスクの塔の緑のライトがモワッと灯っていて、イスラム圏に慣れていない無知な僕は、「入ってはいけないところに足を踏み入れてしまったんだろうか?」的な、なんとも不気味な恐怖感を感じていました。

 

 

 ホテルにチェックインしてシャワーを浴びてなんとか床に着いたのが深夜の3時過ぎでしたが、意識が落ちたか落ちないかのその次の瞬間、朝6時のアラームが鳴り響きました。

 

 「.........え?!?! 全然、寝てないんだけど……。」

 

 この日は、無謀にもペトラのツアーを予定していました。アンマンからペトラへは車で3時間ぐらいかかるので、朝7時発のツアーに申し込んでいました。しかし、ツアーとは言いましても、僕たちの他にツアー客はいず、普通の乗用車に乗った運転手がホテルに迎えに来てくれました。この運転手のおじさんは結構気さくな人で、途中でカルダモンの入ったヨルダン・コーヒーをご馳走したりしてくれました。

 

 アンマンの混沌とした市街地を抜けてひたすら南下すると、何にもないだだっ広い大地が続きます。

 

 

 数時間行くとやがて山や谷が出現し、ペトラの市街地に突入です。

 

 

 入り口付近にはホテルやレストラン、そしてお土産屋が林立していて、「じゃあ、ここで午後3時に。」と約束をして車を降りました。

 

 

 ヨルダンは、特定の日数以上滞在する場合には、ヨルダンパスというものを取得しておくと、いろいろお得な割引をしてもらえるそうで、ペトラの入り口でも「ヨルダンパスを持っているか?」とまず訊かれました。僕たちは、ここヨルダンには、あくまでイスラエルへの旅路で立ち寄っただけで、数日しか滞在する予定がなかったので、「持っとりません!」と返答して、正規の料金で入場しました。

 

 

 ビジターセンターやお土産屋のある地点を抜けたあとは、ごっつい岩に囲まれた砂利道をペトラ遺跡の入り口目指してエッチラオッチラ歩いていきますが、この時点から(実に、ペトラを去るその瞬間まで一日中ずーっと)馬に乗った人々(ベドウィン族の人たちなのかな)が「馬に乗らない?」とひっきりなしに声をかけてきます。「大丈夫です!」と返答し続け、次第に返答するのにもやがて疲れてきます。

 

 

 ペトラの歩き方に関する本って、意外とないようですので、「ペトラを半日で制覇する方法」の説明も兼ねて、ここで簡潔に書いてみますね。

 

 

 全ては、まずは岩の絶壁の間を縫うように蛇行する細道のシーク (The Siq) から始まります。上図の「シークの入り口 (Siq Entrance)」から矢印の方向に歩き始めます)。

 

 

 切り立った断崖絶壁の間をやや下り坂気味にスタスタ歩いていくと、やがて目の前にかの有名なトレジャリー(Treasury) が出現し、「ああ、ペトラに来たんだ!」と少しだけ感無量になります。このトレジャリーの前には観光客を乗せるためのラクダやロバなどがたくさんいまして、絶好のインスタ映えスポットでもあるので、観光客でごった返します。

 

 

 しかしながら、このトレジャリーは、中に入ったりすることはできないので、写真を何枚か撮ったあとは特に他にすることもなくなり、誰もがやがて向かって右の方向に歩き始めます。順路が常にやや下り坂になっているので足が自然にそっちの方向に進んでいきます。種々の墓 (Tomb 68やTomb 825) を過ぎると、ファサード通り(Street of Façade)という巨大な壁画的構造物が左に見え、その横にはローマ円形劇場 (Theater) と呼ばれる円形の劇場跡が見えてきます。するとそこまで両側にあった崖の向こうに開けた荒野が見えます。

 

 

 開けた荒野に向かって右側の崖の中腹に登っていくと、そこからズラーっと遺跡が並んでいるのが見えます。ここから次の散策路へと突入です。

 

 

 こちらから数えて、ウルンの墓 (Urn Tomb)、シルクの墓 (Silk Tomb)、コリントの墓 (Corinthian Tomb)、そして宮殿の墓 (Palace Tomb) と続きます。

 

 

 これらの墓を訪れるのに、ごっつい石段の登ったり下ったりを繰り返すので、それだけで脚がだんだん疲労してきます。しかし、順路は、そこからさらに奥に登り、崖の最上部まで登っていくようになっています。Treasury Viewpoint Trail (日本語だと「トレジャリーの見晴らしポイントへの散策路」とかになるんですかね)と呼ばれています。

 

 しかし現地では「Al Khubta Trail 」とだけ呼ばれ、この名称の着いた矢印の看板を頼りに崖をエッサエッサと登っていくことになります。ひたすら歩き続けますと、やがて崖っぷちで行き止まりとなり、そこから、例のトレジャリーを向こう側に見下ろすことができ、おしゃれな写真が撮れるポイントとなります(しかし、ここが行き止まりですので、ここからは今来た道を墓下のローマ円形劇場の地点まで引き返すことになります)。

 

 

 ローマ円形劇場のある地点までまた下りてきて、ファサード通りの方へと戻ると、そこから崖の頂上へと登ってゆく散策路が見えてきます。この登りの道はHigh Place of Sacrifice Trail(該当する日本語がないのですが、あえて訳すと「犠牲のための高地(犠牲祭壇)への散策路」とかなるんですかね)と呼ばれます。標識もなく、結構わかりづらいところにありますが、たまに健脚そうな人たちが岩の間を抜けて上に登って行くのが見えますので、そこがこの散策路の入り口です。

 

 

 この登山道は、道中自体には特に何があるというわけでもなく、ただひたすら岩の坂や階段を登り続けることとなります。しかし、やがてさっきいたウルンの墓やシルクの墓のある辺りを上から見下ろせる山頂の絶景スポットみたいな地点に到着し、また遠方の山々なども眺望できるようになります。一汗歩いて登ってきた疲れを癒すかのように、結構気持ちがスーッとする休憩地点となります。

 

 

 ここから今度は山の反対側に下っていきます。この散策路は「Wadi Farasa Trail」と呼ばれ、道中、ローマ兵の墓 (Roman Soldier Tomb) やルネサンスの墓 (Renaissance Tomb)など種々の遺跡があります。途中崖の絶壁の階段とかがあり、手すりも何もなく、足を滑らせたら崖下へ転落してしまいような箇所もありますので、注意が必要です。ひたすら道なりに進んで行くと、やがてライオン・トリクリニウム(ライオンの神殿跡)のある地点に到着します。

 

 

 ここまで来た辺りで、普通の人であれば、結構脚が悲鳴を上げ出します。そして、そんな悲鳴をよそに、そこから頂上のモナスタリー (Monastery) まで、ひたすら登りの道が延びています。

 

 

 僕の場合、睡眠不足に低血糖と脱水が重なって、もう脚が痙攣し始めていて、目の前の石段を見上げながら、「嘘でしょ。」と我が目を疑って立ちすくしてしまいました。馬やロバを引き連れた人たちに訊くと、ここからモナスタリーに到着するまでに健脚でも最低1時間はかかるそうでした。運転手さんとの約束の時間が1時間後に迫っていて、また脚ももう限界に来ていましたので、仕方なくロバさんに乗っけてもらい、頂上に向かいました。

 

 

 ロバさんには本当に申し訳ないのですが、急な石段を登る時には、勢い込むので背中がほぼ地面に対して垂直になり、脚を交互に動かすのでロデオのように左右にも大きく揺すぶられて、何度も振り落とされそうになりました。しかも、この断崖の石段には手すりとかなく、振り落とされれば結構奈落の底的な箇所も多々あり、冗談にならない恐怖感で冷や汗ものでした。

 

 

 モナスタリーに到着した後は、そこからの眺望を楽しんだりして、あとは一気に戻るだけです。ただひたすらペトラの入り口のビジターセンターまで歩き続けることになります。

 

 

 石段をただひたすら下っていって到着したライオン・トリクリニウム(ライオンの神殿跡)から以降は、急な登りこそないものの、ビジターセンターまで地味な上り坂が永遠に続きます。誰もがもうすっかりバカになった脚を引き摺り気味に、無言で俯き加減に一歩一歩前に上り坂を歩んで行きます。「ああ、ペトラ楽しかった!」とか感慨に浸る気分ではなく、まさにフルマラソンの最後の数キロみたいな「早く終わってくれ!」みたいな心境になります。

 

 

 以上の全てをこなすとしますと、6時間以上かかります。ですので、朝7時にアンマンを出発して10時に到着したとして、閉園ギリギリの時刻に運転手と待ち合わせした方がいいと思います。もちろん、前泊して翌日の朝一番から歩き始めるという手もあります。また数泊して、散策路を幾日かに分けて制覇するという方法もありますが、そこまでペトラに時間をかけるよりは、(健脚な方であるならば)一気に全てを歩き尽くしてしまった方が効率がいいように思います。

 

 先述しましたが、どこに行っても、馬に乗った人たちが「ロバに乗らない?」と訊いてきます。最初は「なんかうざいなー」と思っていたのですが、僕は最終的に助けてもらうこととなりました。歩き疲れて脚に限界がきたら、迷わずに乗っけてもらっていいと思います。もちろん、最初に何処まで連れてってもらうのにいくらかかかるかをハッキリ訊いてから乗ることが大切です。英語での会話になりますが、あちらもカタコトの英語ですので、気持ちを込めて会話すれば意思は通じます。殊に帰路は脚が筋肉痛全開になっているので、無理だと思ったら、ロバや馬、或いは(場所によっては)ジープみたいな送迎車に有料で乗っけてもらうのも全然ありだと思います。

 

 

 あと、ペトラの遺跡は何処に行っても、物売りの人たちがいます。例えば、遺跡の中に入って写真を撮ろうと思ったら、まずなぜかロバなどの糞尿の匂いがして、オエーッとなり(ここでロバやウマを休ませているのかな)、そしてふと見ると、遺跡の内部の一番インスタ映えしそうなところに、デカデカと地元のおばさんとかが絨毯をひいて陣取って、なんか売ってるんですよ。中途半端に英語を話せると、何処に行っても会話に巻き込まれ、「ねえ、この国の弱い女性たちを救うと思って、この手製の布を買ってよ。」と迫られます。もちろん、慈善的な気持ちとか、人助け的な気持ちがないわけではないのですが、限られた時間で全てを回ろうと必死に歩いているので、各場所でかける時間は最小限にしておきたいんですよね。さっさと写真を撮って次に進みたいんですよね。この辺りで苦労しました。

 

 エネルギー的なことを申せば、ペトラでは(次回お話しする「ヨルダンの向こうのべサニー (Bethany Beyond Jordan)」 や、「ネボ山 (Mount Nebo) 」とは違って)僕は個人的には、エネルギー的なものを感じることはほとんどありませんでした。ある意味、遺跡のほとんどがエネルギー的に空っぽに感じられました。色々な歴史的な出来事がここで起こったのでしょうが、僕自身の過去生の繋がりがあまりないからなのか、歩いている最中にキンキン音に包まれたり、歩き終わった後に何らかのイニシエーションなどが起こったことで上半身が重くなったり、といったことが一切ありませんでした。ある意味、ちょっと拍子抜けみたいな感じでした。

 

 

 ま、しかし、ペトラは世界的に有名な遺跡ですし、ヨルダン自体、おそらくこれが最初で最後の訪問になると思いますので、一度は行ってみる価値があるところなんだろうなあ、と心の中で解決しました。ですので、今回のペトラに関する文章は、スピリチュアルなテーマというよりは、これから行きたいと思われている人のための詳しい解説みたいな文章になりました。ぜひご参考にしてください。