最近は夢にも出てこないから、あなたが今はちゃんと自分の居場所を見つけてくれたのだと思ってます。
あなたのおかげで、私は強くなれたのだと、今は、あなたがいなくなったことにも、あなたと出会えたことにも感謝出来るようになりました。
あなたと共有したたくさんのこと。あなたと話してきたことが、今の私を形作りました。
人の話を聴けるようにかりました。本当にありがとう。

あなたの欠点も含めてあなたが好きでした。あなたがいない空白も含めて、私は私を認めてあげることができています。
強がりではないから、時々は、あなたがいないことを悔しがったり、泣いたりもします。
でも、そう思える自分にも、幸せを感じるようになりました。

ぷーすけ。
今もあなたが大切です。
今もあなたが大好きです。
あなたのことを、娘に少しずつ、伝えていくね。
友達は大切。一生の宝物。
ありがとね。

久しぶりに新井素子を読みたくなったので、アマゾンで検索してました。

クチコミ読んでて、かなり気になったことが…。

新井素子の文体に違和感を感じている人、というより不快感を感じている人、否定的な人が多いということ。


んー。

なんちゅうか…違うと思うんですな。

新井素子の文体が嫌だったら、もう新井素子を読んじゃいかんと思うわけですよ。


「話はいいけど文体が」とか「50過ぎてこの文体かよ」とか「文体をどうにかした方がいい」とか。

だったら、他の人でいいんじゃない? 作家の書くものって、文体込みで、作品じゃないですか。

こういう人たちは、漫画読んでも同じことを言うのかな?

「話はいいけど絵柄が」「50歳すぎてこの絵柄は」「絵柄どうにかしたほうがいい」って。

絵柄が嫌なら、その人の漫画読まなきゃいいやん、って私は思いますけどね。


同じことっすよ。その作品を形作ってるのは、けっして話だけじゃないんです。文体や絵柄も含まれてます。それが、世界観ってやつなんじゃないかって思うんです。


新井素子は文体込みで、自分の世界を作ってます。それが嫌いなら読まなきゃいいだけです。

私も新井素子で苦手な話、ありますよ。なんかしっくれいかない話とかね。

でも、それは話が好きじゃないわけで…文体がどーのとか思いません。


画一的なものばかりを望んでたら、楽しむことは出来ないと思うよ。

もっと柔軟に、自分の中の範囲をなくさなくっちゃー。

40過ぎても50過ぎてもライトノベル好きでもいいじゃないですか。たかが、ライトノベルとか言われてるけど、ライトノベルの中にも秀逸な作品はたくさんあるよ。なんで年で範囲をくくるんだろ。そんなことしたら、自分を狭くするだけだと思う。素敵な出会いを狭めてしまう。


本との出会いは、人との出会いと同じだと思う。年齢だとか、枠組みだとか、そういうので区切ってほしくないと、切に願います。


今気づいた。

先月一度も書いていない。


忙しかったよなー9月。

そしていろんなことがあった。


いろんなことも分かったし。

自分がどこに立っていて、どこを見てるのかもわかった気がする。


私と皆は違う。そして皆も私とは違う。

それをはっきりと認識すべき。

生きる道も、心の持ちようも。

だから同じものを求めるのは間違いなんだと思う今日この頃。


あー。今月とうとう大台だよー。


絶対彼女は、文章の書き方が下手なんじゃないかと思う。

どうしてあんなに上から目線なんだろう。facebook見るたび「いらっ」とする。

年下だし我慢するところなのかしら??

でもそんなの関係ないようね…私、11歳下の友達いるけど。彼女にそんなこと思ったことない。

同僚から出発した現在仲良しの友達にもそんなこと思わない。私より…8歳下だっけ、彼女は。

絶対、適正だと思う。

治した方がいいんだけどな…

分かってないだろうな…


喋る言葉と書く言葉にギャップがあるって、本来いいことじゃない。特にこういった交流しなくちゃいけない場面では。


指摘すべきかどうか迷うな。

でも、人のふりみて我がふりなおせ、だ。

自分はそんなことがないように発言には気を付けよう。まずはそこからだ。


夏休み、最後の日はなにをした? ブログネタ:夏休み、最後の日はなにをした? 参加中
本文はここから

日曜日が最後の日になるわけで。

たぶん、プール。


今年はねー。たくさんプールに行ったよ。

新しい水着買ってから一度も行っていないのが痛い(T_T)


水の中は楽しいよね。

楽ちんだしなー。

来年はどんな夏休みにしようかな。

あっ、来年は大台の夏休みだ(@_@;)




やっぱスマホで使いやすいように出来てるよね。

でもミクシィはガラケー対応。

うーん…。

自分がガラケー使いで、PCユーザーだからかな。

ミクシィは使いやすいっすよ。

SNSの中では、これが一番使いやすい。

しかし。使いやすさには裏があって。

性質の悪いユーザーが多いのもミクシィな気がする。

facebookは匿名性が薄いから…好き勝手出来ないってことかな。


i-phoneに興味はあるものの…(大阪在住の友達はi-phone。でも場所によっては使いずらそう。大阪ですら(T_T))スマホにするメリットを全く感じない。

スマホ関係の記事が出るたびに、「無駄に消費者を煽ってるな」って感じます。

将来、ガラケーがなくなるとか(笑)


スマホonlyに出来るわけがない。

少なくとも、あと20年は無理でしょう。

絶対にタッチパネルだけにするのって無理だよー。年取ると手が滑るから、タッチパネル辛そうだもん(笑)

私が見るからに65歳以上の人は苦しそうだね。

スマホに抵抗を感じている世代が全て入れ替わるのに、20年はかかるんじゃないかなー。ガラケーの機能をスマホが受け継いでる機種もあるらしいけど(笑)ならガラケーでええやろ(笑)

65歳以上のユーザーを切り捨てる勇気は…多分、日本の携帯メーカーには無いでしょう。今後、超高齢化が進む現状では尚更ね♪


なんだかんだ言って、やっぱりガラケー便利やんね。

職場のスマホの人達…データの同期ですら大変そうだったわ(@_@;)

ただ…facebook使う時だけは、ガラケーめんどくさい。

アプリあるか探してみよ~。

っていうマンガがあるんですよ。ダウン症の疑いがある子どもを妊娠したところからお話が始まります。

私は先天性異常が分かる血液検査は受けませんでした。娘の父親の遺伝的な問題から考えても、先天性異常がある可能性は高かったし、検査があると言われた頃には、もうどんなことがあっても産もうと決めていたからです。
それでも、なかなかお腹の中で娘が成長出来ず、このままだと内臓に障害が出る可能性が高いだろうとドクターに言われた時は、それは大変なショックを受けました。友達が支えてくれ、それも乗り越えることが出来ました。

このマンガを読んでいると、色々なことを思い出します。

お腹の中に彼女がいるときに、父親を与えてあげることが出来なかったことをたくさん謝罪しました。本当なら、父親と乗り越えるべきことを、独りで、そして友達に支えてもらって乗り越えた私。

彼女がダウン症だったら…と想像します。
それでも、私は、ママ独りしかいないことを謝罪しながら、彼女をwelcomeしただろうという自信があります。
それだけは、私が彼女に誇れるものかな。

出生前判断の良し悪しを考えさせられております。

むかしむかし…

聖千秋という漫画家さんが描いたサークルゲームっていう漫画があったのですよ。

今の少年漫画みたいな、そんなすごい人気作家さんじゃなかったけど、もうキャリアもたくさんで、小学生のころから好きな作家さんなのですが。

私は昔からその方の描く男性に弱くて。

特にサークルゲームの中に出てくるブラッドという男の子は、今でも私ツボなのです。

最近思い出して、どうしても読みたくなって、アマゾンで探していましたが全巻は見つからず…さて、どうしたもんかと考え中。


で、昔は考えたこともなかったんですけどね。

どうして私がブラッドを好きだったのか。

彼は、好きな人に対して自分が行うことを、自分のために出来るやつだ、ということ。


人って「○○のためだから」「あの人のために」的な感じで、何か行動しがちですよね。いや、それも十分すごいことなんですけどね。

ブラッドは更にすごいんですよね。

彼女のために何かをするのは、彼女に幸せでいてもらうためであり、そしてその幸せキープな状態が自分にとっても幸せだという、究極の自己中なんですが…なんでしょう?私は、究極の利他的な人なのではないかとも思えます。


でもよく考えるとね。

本当に好きな相手ならね。

その人のメリットだったり、幸せだったりを深く深く、考えれてしまうんだよね。

今まで付き合ってきた人の中に、そういう人がただ一人だけ存在したな。


「ああしてほしい」「こうなってほしい」とか考えてたり、「してあげる」的な考え方してるぐらいは、まだ自分の中での恋愛ごっこにすぎないんじゃないかなって思う。


まー…こういう小難しいこと考えてるうちは、恋愛は遠いな(笑)

でも恋愛より、愛かな。

その人の幸せを心から祈って、その人のために何かしたいって気持ちで幸せになれるような自分になりたいな。



読んでいて、たかもとさんに教えて頂いた考え方を今も実践している私に気付きました。

ほんとにありがたいことです。
たかもとさんの言葉は、素直に自分の中に沁みてくる。これがきっと人間性なんでしょう。

私もこんな風に言葉を紡ぐことが出来る人間になりたいと改めて思う。
ぷーすけがいた頃は…私は、自分の考えだったり悩みだったりを飲み込むことがほとんどなくて、曖昧な心のままに、彼女に話を聞いてもらうことも多くて。

生活においては、彼女はまぁ破綻者だったんだけど、私にとっては楽しいことも苦しいことも共有出来るパートナーだったわけです。

先日、友達と友達のお母さんと過去の話をしていて、過去を思い出して色々考えていました。

たくさんの本を読んで、たくさんの人から話を聞いて、娘を父親不在で産もうと決めて、ろくな父親でないなら、いない方がいいと考えた次第です。でもまぁ、けっこう、これについては未だに賛否両論あって。

でも正解は多分、それぞれの家庭の事情で違うんだと思いますよ。

私は、娘がいつか自分のルーツを知りたがるだろうと覚悟をしていますが、実際には知りたがらない、現状に満足する方もいらっしゃるようです。
父親不在で不自由もなく、幸せなので、父親に会いたいと思ったこともない、と。

けっこうカルチャーショックでしたけど(・.・;)
やっぱり、ケースバイケースなんだろうなって思います。

父親がいて籍も入ってるのに、子ども達から軽蔑されている方もいるし…。子ども達の未だに残る父親への憎しみを見ると、やっぱりいない方がよい父親というのは存在します。残念だけど。

いろんな形があって、私は自分にとって最良を選んできた。

今はもうぷーすけと話し合って、たくさんの選択肢を考えることは出来ないけど。
彼女がいるときと同じように、私は、読んで、聞いて、分岐を考え、整理し、生きています。
時々は…こうやって、ぷーすけに話すようにね。自分の気持ちを整理することも大事だし。

…今考えたら、ぷーすけというパートナーを失った私が、あの頃結婚するのは難しかったんだよなー。
相手は男だからぷーすけとは別の話、と考えた私の浅はかさ。
男だろうが女だろうが、生涯をこの人と過ごすと考えた相手なら、誰にもその代わりは出来ない。少なくとも、同じ意味合いでは。
そして、失った痛みが癒えるまでは。

私は、まだまだだな…。
生涯を一緒に過ごす人。
そういう人に出会いたいなニコニコ