幼稚園復帰をお話しする前に、
入院中、お外の世界で
お友達どとう関わってきたかを
書いていこうと思います。

闘病は2014年8月中旬に始まりました。

外泊時にうちの子と
ふれあってくれたのは
ご近所と、同じ幼稚園バス停の子供達。

それぞれのお母さんには
事情をお話ししていました。
子供が病気になり、
すっかり閉鎖的になってしまった私が
やっとこさ打ち明けることのできた
数少ない方達です。

闘病前半の外泊はほぼ土日。
とにかく外遊びしたがる子で、
いつもご近所の子が一緒に遊んでくれました。

皆さんとても理解があり、
うちの子が抗がん剤のせいで
免疫が低下していることを知ると、
子ども達までマスクをしてくれるように
なりました。

鬼ごっこしたり、
自転車(補助輪付き)に乗ったり、
アスファルトに座っての
ハンカチ落とし、
チョーク遊びやシャボン玉。
お医者さんには怒られるけど…
もう何でもやらせていました。


1年後、この子のこんな姿を見ることが
できるのだろうか。


考えたくも無いこと。
でも考えなければならないこと。

だから、少しくらい危険でも汚くても、
のびのび遊ばせてあげたいなと
思ったんです。
今を目一杯!思いっきり!楽しんで欲しかった。

それに、
体力だけは昔から人一倍以上な子でした。
外泊中も信じられないくらい
走り回っていました。
血液の数値は軒並みギリギリで
苦しいはずなのに、
まわりの皆が先にへばる事もありました。

この並外れた体力はこの子の
武器になるかもしれない。
そういう思いもあって
私達は思い切ったのです。
この子が体を動かしまくることを
見守ることにしました。

心配なのは胸のカテーテル。
私と主人は交代で黒子のように
我が子にはり付いていました。
いつ転んでも良い!
何があっても良い!
危なくないよう受け止めてあげるから
思いっきりおやんなさい!という気持ちで。

皆のお母さんも、
「うちの子が○○ちゃんに、
うっかり危ない事しちゃわないように
見てないとね!」と、
毎回一緒に付き添ってくれました。
ありがた過ぎます…えーん

そんな中、
治療のせいでどんどん痩せて、
脱毛して、肌が黒くなって。

神経に浸潤され、麻痺が出てきた右腕は
段々と形が変わっていき…。
外泊のたびに痛々しい姿になっていきました。

お友達は、
「え?○○ちゃんどうしちゃったの?」
と聞いてきます。

それぞれのご両親や私から理由を
説明してあげると、
同年代の子は「そうなんだ?」
てな感じ。

高学年の子は
心配そうにこの子をみつめて、
ちょっとだけおっかなびっくりで
様子を伺っていました。
でも以前と変わらず走り回る
この子を見て安心したのか、
いつも通りに遊んでくれました。

今までと変わらぬ笑い声、
皆で楽しく遊ぶ姿。
ご近所の皆さんは涙してくれました。

「うちの△△と遊ぶことで、少しでも
○○ちゃんの力になれればって思うよ。
○○ちゃんは何も変わってない、
私はずっとあなた達を見てるからね、
大丈夫だよ。」って。

ちょうど季節は夏でしたので、
外泊時は毎晩のように大好きな花火を
やっていました。

右腕は相変わらずの激痛で
うまく力も入らないはずなのに、
花火をしっかり両手持ちして笑顔。
痛みを忘れるほどの喜び。

とにかく笑わせてあげたかった。
楽しませてあげたかった。

私自身の体力も精神力も、
花火やおもちゃを買う事も
かなり採算度外視な外泊期間を
過ごしていました。

ラブドイドを寛解させた子に
巡り会えるまでは、この子の笑顔だけが
私達の希望でしたから。

その後、手術が決まった頃、
平日の外泊が増えてきたのもあり
私たちは幼稚園のバス停へ遊びに
行くようになりました。