闘病が始まってからずっと、
私は病気のことを子供にわかる言葉で伝えていました。

 

悪性腫瘍のことを「悪いおまんじゅう」と呼んで。
(こんな表現しか思いつかず…)
これを放っておくと、腕だけではなく色んなところが痛くなってしまうのだと。

だから治療は受けなければならないと。



そして、
治療に使う抗ガン剤のことや、その副作用を抑えるための薬とか、

輸血、検査、その意味全てを治療の成果も含め
積極的に話していました。

 


そのおかげなのか、
子どもはつらい治療も嫌々ながら納得して頑張ってくれていました。

転院に関し、
「悪いおまんじゅうを取ってもらうために手術をしなきゃいけないんだよ。
だから手術が出来る別の病院にお引越しするよ。」
そう教えたものの、、

肩甲骨帯上肢離断については、どう説明しよう?という以前に
どうしたら良いか???まるで分からず頭真っ白。




当時5歳の我が子。
この年齢での疾病による上肢離断手術は、う過去日本では例が無かったそうです。


かといって説明無しに、

誤魔化して手術を受けさせるのは言語道断であり、
どんな年齢であろうとも自分の身体に関わることは正確に告げるべき。


いかに自分の右肩に在る腫瘍が恐ろしいものかを改めて教えて、
手術の内容を説明しましょう。

 腕を取らなければ死んでしまう、救命のために腕を取るのだと

しっかり教えてあげるべきです。
この年齢なりの理解をしてもらうべきです。

 

本人が納得しないままだと、術後の心身の回復にも影響を与えますよ。



…と整形外科の先生に言われまして、
頭のモヤが晴れました。

 


母親の私から直接子どもへ離断の告知をすると決意しました。

 


そして
プライマリーナースが3人もついて下さり
私のメンタルまで考慮頂きながら告知の計画を練りました。


手術前後は私自身怒涛の日々で、
苦悶、葛藤、希望がぐるぐる入り交じっていました。

今まで看護師さんの前ですらほとんど泣いた事のなかった私が、
打ち合わせしながら涙したり。
今思えば、不安定になっていたようです。

 


そして子どもも日に日にピリピリした状態に…。


新しい環境でも頑張ってくれて、
お友達もできて、仲良しの看護師さんもできて、
病棟保育士さんラブになって。

 

ほのぼのとした時間もちゃんと過ごしてはいました。

本人は手術というものを生検で体験していたので、
漠然と理解しつつも、、実態が分からずにいたと思います。

子どもの前で心の乱れを一切見せずにいたつもりですが、
私がカンファレンスなどでそばを離れることも多く…。
何か周りの様子が変、何かイヤ。
そう感じさせてしまったのだと思います。

 


「告知の時ばかりは子どもの前で泣いてしまっても良いんですよ。」

 

看護師さんたちにそう励まされ、



あなたに生きて欲しい
いなくならないで欲しい
これからもずっとずっと一緒に居たい

 

そんな気持ちを伝えながら

 

私の言葉で手術内容の告知を行いました。主人も一緒に。



このままだと死んでしまうことも、

死とはどういうことなのかも、

合わせて説明しました。


それほどまでに、

あなたの体の中にある悪いお饅頭は怖いものなのだと、

切々と語ろうとしましたが…。



やはり涙は抑えられませんでした。



嗚咽してしまいそうになり、途中でしゃべれなくなりました。


なんで自分の子がこんな事になるのか。
なんで自分の子にこんな事を告げなければならないのか。
私の腕がこうなれば良かったのに、なんでこの子なんだろうと。

でも、きちんと教えました。

伝えました。
ずっと私の手を両手で握ってくれた我が子の目を見て。

痛くはなくなってきたけど、
神経に浸潤されてほとんど思うように動かせなくなった右手。

神経さえ冒されなかったらなんとかなったんだろうか?
皮肉にも神経から最悪な腫瘍が発現してしまって。
もう生きるためにはこれしかない。

たぶん、一生忘れてはいけない日です。

 

おそらくあの年齢なりに私の話を理解はしてたと思うけど、
離断そのものに子どもの意思決定は存在していなかったと思います。

親の私たちが、

あの子に腕を失ってでも生きていてほしいと願い決めた事。

 

だから私達の背負うものはとても重大だと常々考えています。
これからの人生をより良くしてやる為に、
自立への歩みが少しでもスムースになるように。


クリスマスだというのに、重たい重たい内容の長文で
失礼致しました。