夫に死んで欲しいと思うことがよくある。

ただ実際は死なれると、その後の手続きとか、私が出張できなくなるとか、いろいろ不便になってくるので、死んでほしくない。この人と結婚生活を続けているのは、便宜性のみの理由だ。

 

今朝、布団を干しながら、夫が死んだら悲しいと思うだろうか、と考えた。死んだ後の手続きとか、私が出張のときに子供をどうするか、という点のみにおいて不便だけど、それ以外は何の不都合もないし、悲しいとかそういう感情は一切湧かないだろう。手続き面や仕事面の不便さえなければ、私の人生からいなくなってほしい。

 

今朝、子供の前で大げんかした。

彼から、昨日の件で話し合いたいと言ってきたからだ。

彼の言う「話し合い」とは、話し合いではなくて、自分が正しくて私が間違っている、と一方的に責めること。だから、「そのスタンスを繰り返すのなら、話し合うことでさらに関係が悪化するから、話し合いはしない」といつものように断ればよかったのだが、もしかしたらちゃんと話し合えるかも、という期待を持ってしまって、断ることをしなかった。

 

それが大間違い。

また、いつものパターンで、自分は正しくて私が間違っていると一方的に攻め続け、おまけにテーブルを拳で叩くパフォーマンス付き。以前はこのようなパフォーマンスに恐怖を感じることもあったが、今は慣れっこというか、「こいつ、本当にバカだな」という目で冷静に見られる。

 

私のコミュニケーションスタイルについて文句を言っているけど、自分自身のコミュニケーションスタイルがいかにひどいかについて全く認識できていない。「私のコミュニケーションスタイルに文句を言うなら、あなた自ら、自分が提唱するコミュニケーションスタイルをDemonstrateしろ」と言ったら、少したじろいだ様子。

 

You、Youと攻め立てるのではなく、Iメッセージを使え、と伝えたら、わざとらしく使っていたが、それでも、ずいぶん受け取る方の印象が変わる。やっぱりIメッセージは有効だなと思う。でも、彼自身、自分は全く悪くない、悪いのは全部私だ、と信じ込んでいるので、途中からいつものモードに戻って、私がそれを指摘して、お互いに怒鳴り合って、終了。しかも子供前で。これは精神的虐待、トラウマにつながるかもしれない。

 

Eが私と話し合いたいと言ってきた時に、断るべきだった。あるいは、子供がいないところで話そうと言うべきだった。彼にほんの少しでも、学ぶ力があるとか、自己認識の力がある、と期待してしまったのが間違いだった。彼は50年以上そうやって生きてきたので、変わらないし、変われない。常に自分が正しくて、私との間で何かトラブルがあったら、それは全部私が悪くて、自分は被害者、と思い込んでいる。精神的に弱い人は、そういうモラハラに屈してしまい、悪いのは全部自分だ、と思い込んでしまうのかもしれないけれど、私は違う。Eこそが、本当に弱い人なんだなと思う。自己肯定感の問題なのか、何が問題なのかわからないけど、少しでも自分が悪いと認めちゃうと、自我が崩壊してしまうんだろうか。

 

以前は私も、夫婦で問題があったときは、話し合うことが有効だと思っていた。でも、今は違う。自分の非を全く認めることができない人と話し合っても、問題が解決するどころか、さらにひどくなる。いちばんいいことは関わらないこと。

 

今後もしEが話し合いたいと言ってきたら、「自分が正しくて私が悪い、という結論に持っていくなら話し合わない」と最初から断ろう。

 

子供達が大学生になって巣立ちしたら、離婚したい。そのときになれば、出張云々に支障は出ないし、手続きは面倒でも、残りの人生を充実させるためには、必要な手続きだから。