震災経験者に出来ること。 | 白リサの放浪日誌

震災経験者に出来ること。







旅先で
「日本は大丈夫なのか!?」
「お前のとこは無事なのか!?」
なんて宿の従業員や宿泊客が声をかけてくれます。



内戦中のアフガニスタンでさえ”日本へ恩返し”だと
支援をしてくれるとニュースで見たときには驚いた。
日本がいかに世界中のたくさんの人に愛されてる国か旅に出てみて初めてわかった。










母と連絡をとると私の地元も揺れたんだとか。。。




震源地ではなかったけど私の家は
阪神大震災で半壊した。
ある程度直したもののもう1回あのレベルの”やつ”が来れば
今度は半壊ではすまないだろう。







お客さんに
「わたしん家ね地震に備えて屋根を軽い素材にしたんですよ♪
ただ台風で飛ばされるかもしれませんけど♪」

なんてここ最近では笑い話にしてたのに。。。







なんだかブログを書く気になれません。。。
なので今回の記事を書いてから通常の旅ブログに戻らせてもらおうと思います。



















震災時わたしは小学生でおぼろげなところもあるかもしれないけど
当時を思い出して少し書いてみようと思う。

何かのヒントになればと願い。









1995.1.16


私は「明日リコーダーのテスト嫌やな~休みになったらええのに」
なんて思いながら眠りについた。



子供部屋の3段ベットの1番下段に私。

1番上段はお兄ちゃんと取り合いになったが漫画置き場にすることで和解した。

そしていつもは中段に寝てる兄は風邪で高熱を出していたため
父母と同じ部屋で寝ていた。
子供部屋には私一人だった。









1995.1.17

5:46



、、、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!









低い地響きと突き上げられるような感覚の激しい揺れに
思わず飛び起きた!!




タンスがベットの柵に倒れ掛かっていた。
ベットがなかったら顔面に倒れてたかもと思うとゾッとする。



お父さんが血相を変えて子供部屋へやって来て私をベットから抱え出した。




「べーちゃん取って来る!!」
私は飼ってたセキセイインコのカゴを急いで取りに行った。
確か止められたんじゃなかっただろうか。






「玄関の戸が開かへんわ!!」
お母さんが叫んだ。
開く窓からなんとか皆で脱出した。







そして集会所に向かった。
しばらくそこで非難させてもらった後
母は家の片付け、父は仕事場へ向かった。






いつも頼りにしている兄は相変わらず高熱で寝込んでいて
自分がしっかりせねばと思った。
母がなかなか戻って来ないので不安になり家に戻ってみると
家の中は割れた食器などで散乱していた。





「これお兄ちゃんと食べえ」
と母にでっかいロシアパンを渡された。



私はそれを小脇に抱えて集会所へ猛ダッシュした。







「リサちゃん!!!!!」




聞き覚えのある声がした。
担任の先生だった。



「大丈夫やった!?」
そう言って先生に抱きしめられた。
先生の所も大変だったに違いないのに。
私は
「明日休みになればええなんて思ってごめんなさい」
なんて思いながらロシアパンを握りしめた。











そして数日後、家に戻って震災生活が始まった。














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