2009年最後は毎日かく

とかゆってたけど
結局書かなかったアホです←
きづけば年越ししてました!
あけましておめでとう

さて、今日は
色々思い出したことを
書きますね

2chの泣けるコピペを読んでたら
自分の思い出にもあるなぁ…
とか思ったのでここに
書いてみますね
なんか重たいかな
見るのは自己責任で。
りさには だいすきな
おじいちゃんがいました。
そのおじいちゃんは
りさが小4(10歳)の時に
肺ガンでなくなりました。
だからもう 別れてから
7年も経つんだね。
りさは小2の春休みから
中学受験を始めました。
ママはその当時りさを
金城にいれたかったらしく
小さなりさも 自分は
金城に入るもんだと
思っていた。いわゆる洗脳で。
そんなころ、
元気だった おじいちゃんが
りさにこう言った。(らしい)
『りっちゃんが中学に
入る時に、じいちゃんは
定年してるから覚王山まで
毎日送り迎えをしてあげるね』
でも金城は尼ヶ坂だし
ママの中で椙山が覚王山に
あることも知らなかったから
なんで、おじいちゃんが
覚王山って言ったのかが
わからなかったらしい。
それは後にわかります。
そして、りさが今でも
忘れられないのが
小3の誕生日。
おじいちゃんは小4の
4月に亡くなったから
小3の11月の誕生日が
おじいちゃんと迎えた
最後の誕生日だった。
その日は土曜日で
おじいちゃんはりさを迎えにきて
近所のおもちゃ屋さんに
連れていってくれた。
お店に入るなりおじいちゃんは
『りっちゃんの好きなもの
全部買ってあげる』って言った
だからりさは その当時
欲しかったハムスターのついた
おもちゃのパソコンを
買ってもらった。
それが最後のプレゼントだった
もうそのおもちゃのパソコンは
壊れて動かなくなったけど
りさはきっとそのおもちゃを
ずっと持ってると思う
おじいちゃんは
亡くなる数時間前に
おばあちゃんに
『今まで、こんな俺に
ついてきてくれてありがとう
これから俺は孫たちの
面倒が見たくても見れないから
孫たちをよろしく』
そう言い残したと
おばあちゃんに去年教えてもらった。
おばあちゃんはその時
一緒に数十年この人と過ごせて
ほんとに良かったな
そう思えたらしい。
おじいちゃんが亡くなった後
りさの受験は本格的に
追い込みになってきた。
5年生のとき
ママは塾の先生に
『りささんには
椙山の校風が1番合う
だから椙山を第1志望で
いきましょう』的な
ことを言われたらしい。
椙山を調べてわかったこと
それは椙山が覚王山にあること
そこでママは おじいちゃんが
昔言った
『りっちゃんが中学に
入る時に、じいちゃんは
定年してるから覚王山まで
毎日送り迎えをしてあげるね』
これが椙山だと気づいたらしい
もうりさが受験勉強を
始めた頃からおじいちゃんは
りさには椙山が1番合うから
椙山に通わせたかったのかな。
だからママはりさを
椙山に入れるために
頑張ったし
りさも椙山に入りたかった。
無事 椙山の合格通知を
もらったとき、りさは
おじいちゃんの仏壇に
合格通知を置いた覚えがある。
おじいちゃんは見てくれたかな
今りさは高校2年生に
なりました。
病院にかけつけて動かなくなった姿に
りさは医者に止められるまで
ずっと肩を叩き続けたのを
今でも鮮明に覚えています。
まだ おじいちゃんに
教えてもらいたかったことが
たくさんあった、
ほんとにだいすきだったから
今でも黄泉がえりみたいに
数日だけでいいから
帰って来てほしいって思う。
そしたらりさの制服姿
見せてあげられたのに。
おばあちゃんはよく
りさを褒めます
『じいちゃんの遺言を守って
椙山に入って、じいちゃんは
きっとすごい嬉しいって
思ってるね』
遺言だけで椙山に
入ったわけじゃなくて
自分も椙山に通いたかったから
頑張ったんだけど
そう言われるとやっぱり
椙山に入れて良かった
って思う
この世ではもう会えないけど
数十年後、りさが死んだ時
きっとまた会えるよね。
おわり
やばい、
ガチで泣けてきた
涙とまらんくなってきた
夜で良かった
←