「 稲むらの火の館」 【写真追加】
おはようございます。
能登半島大地震 時間が経つに従いその被害の大きさが心を痛めますね
今日は過去記事ではありますが 震災に対する教訓のために再リメイク版としてアップいたします
私 数年前まで地域の公民館の実行委員をしていた時の研修旅行の記事です
「 稲むらの火」の物語 みなさんご存じでしょうかね。 ?
「 稲むらの火の館」
和歌山県広川町にある日本の偉人の一人である 濱口梧陵さんの記念館です。
入口に あの小泉元首相の直筆の石碑
何故ここに こんな石碑があるのかと言うと
小泉元総理が 外国の要人に 「 稲むらの火」のことを質問された時
実は元総理はこの話を知りませんでした
改めて この話を知り感銘して この石碑を寄贈したそうです
小泉元首相? 違います。 当時の公民館実行委員の会長さんです。
さてさて この記念館の中へ
安政時代に起きた 南海大地震にまつわる物語です。
映写室で 3Dによる この物語を見ました。
地震による津波の映像です。
一度目の地震の後
津波が来るかと村人は近くの山の上の八幡神社へ非難しました。
その後たいした津波もなく 村人たちは各家に帰りましたが
この梧陵さん 海水の引き 井戸水の引きに気が付いて
再度村人に避難を呼びかけました。
その後 二度目の大きな地震に見舞われましたが
一度目の小さな津波に油断したのか たくさんの村人が津波の被害に
当時は 陸には電燈もなく暗黒の世界
梧陵さんは まだ生きている村人はきっといるはずと
稲むら(稲の藁)を燃やして 逃げ道の方向を知らせるように村人に指示しました
この時代 農家にとっては 藁は貴重な農産資源でした。
それを 燃やして 人命救助に
津波の過ぎ去った村を見て 茫然とする 濱口梧陵
その後 防災と言う事に 多くの尽力を尽くしたというお話です。
映画での稲むらの火を鑑賞後 研修室にて
この 濱口梧陵の偉業と 防災対策についての講演ききました。
稲むらの火については もちろん和歌山県人なので少しは知ってましたけど
濱口梧陵さんのその他の偉業について深く知り得て有意義でしたね。
勝海舟 福沢諭吉との親交 幅広い人物だったようです
館内の展示物 翌日が あの東日本震災の二年目でもあり実感持って見学 しました。
壁にはこんな短歌の標語が
その通りですね。
津波の模型です。
小さいながら 見てたら 実感できました。
おばさん達(失礼) じっと見つめる先には
こんな記述の古文書が 当時の状況知る貴重な資料ですね。
重苦しい空気 取り払うために 一服の癒し写真をね。
稲むらの火のイメージでしょうかね。
これも場違い???
いえいえ 凄く関係があるんですね。
此処は醤油発生の地 湯浅町のとなりです。
濱口梧陵さん 実は ヤマサ醤油の七代目当主なんです。
商売で儲けた利益・私財を おしげもなく 世のため人のために使ったそうです。
館内を出て 案内をされた場所
梧陵さんの偉業のひとつ 海岸べりの堤防です。
目の前に 広川漁港の海が広がってます。
【写真追加】堤防の断面です
この堤防は 今だ現役で
先の昭和の東南海地震・南海地震時も津波を防ぎ難を逃れました。
和歌山の偉人 たくさん居ますが、 濱口梧陵 もっと知りたいお方
下記URLでね。
http://www.yamasa.com/enjoy/history/inamura/
備えあれば憂いなし 地震の発生は現在の科学をもっても予測不可です
日頃からの防災に対して常に心がけましょうね