気持ちの整理ができればと思い、書きます。
殴り書きのようなものです、、文章にすらならないと思います。




1週間ほど前、母が亡くなりました。

60歳でした。
ちなみに私は20代です。
 

2017年の11月頃、初期の癌が見つかり、手術して転移してないとのことだったので、父と祖父は喜んだそうです(私は転勤で後から知りました)

2018年の夏頃、肺に転移が見つかり、抗がん剤治療が始まりました。
その時、私は自宅から通勤しており、仕事が終わって家に帰るところでした。
父からたくさんの不在着信とメール、、見るとメールには「早く出てくれ、早く出ろよ!」等尋常ではない様子。。

駅内で折り返すと、
父「ママがママが危ない!!!」
私「落ち着いて!!どうしたの!?」
詳しく聞くと、抗がん剤の影響で白血球の数が激減して、全身痙攣、、泡を吹いて意識不明とのこと、、

通常、白血球は3700~9400個のところ、60程度にまで落ち込んでいたとのこと。。

父と病院に行くと、無菌室におり、意識はありました。
ただ、白血球が少なく、抵抗がゼロに近いので、病室に入る前に無菌服やマスク、帽子を着けて入りました。

その後、退院し、肺の腫瘍も消えたとのこと。。

この時も喜んだと思います。

少し落ち着いた時には、母は自転車にも乗れてたし、普通に歩いていました。

しかし、12月、、母が
「自転車の右側のペダルがおかしい」
父は「じゃあ、後で自転車見とくね!」

母は他にも足の関節が原因じゃないか…と思って病院にも行ったみたいです。
結局、そこの病院では分からなかったけど、、

その時には、座椅子から起き上がるのも苦労してるようでした。
その時、私はどうしたの?疲れてるんじゃない?
くらいにしか思ってませんでした、、今考えればおかしいって分かるのに、、

翌月、自転車に乗っている母を父が見て、ペダルがおかしいのではなく、母の足が引きずるように自転車をこいでいるのを見て、これはおかしいと思ったそうです。

そして、脳に腫瘍が見つかりました。
2019年1月、緊急手術、、

父と私と祖父、母と一緒に病院に行きました。
この頃、母はまだゆっくり歩けました。。

手術室に車椅子で入る母が私の手を握り、
「怖いよぉ〜」
と、不安そうな顔で言ってたのを今でも覚えています。

そりゃそうだ、これから頭を開くのだから、、私なら、、逃げ出したい。

大丈夫だよ、行ってらっしゃいとか、明るく言うことしかできなかった私、、

手術は無事に終了。。腫瘍も見せてもらいました。
しかし、まだ脳には腫瘍が1~2あるとこのこと。。

そこは脳の奥にあるらしく、取れないそうです。

その時、医師から余命はもって1年でしょう…なんてことを聞きました。
信じられませんでした、、私は大泣きしたと思います。父も慌てていたと思います。

手術後、母のベッドに行きました。
当然、術後なので母はぐったりしていました、、しかし意識はありました。
余命のことなど言えるはずもなく、、泣いたばかりの顔で精一杯笑いながら、よっ!おつかれ!大丈夫??などと言った気がします。。

また、手術の影響で右手と右足が麻痺して動きませんでした。

そこからは2ヶ月くらいは右半身のリハビリと、放射線治療で脳の腫瘍を除去に入りました。



結果的に、右手は動くようになり、脳の腫瘍は全部消えたとの事!!
退院もできました!

奇跡かと思いました。喜びました。右足は動かなかったけど、、
よかった!これで、あとは車椅子だけど、右足を動かせるようにリハビリを頑張っていこう!
定期検査もして、癌が再発しないように気をつけよう!!って、笑いました。

母は家に1人では難しいですが、私も父も仕事に行ったので、介護ヘルパーさんも定期的に来てくれました。

それからは車椅子で私の車に乗せて、買い物に行ったり、楽しく過ごしました。

これから良くなっていくのだと、この時、みんな思っていました。。





2020年1月、、脳に10箇所の腫瘍が見つかり、肺にも転移が見られたと父から電話がありました。
手術はできないので、抗がん剤を行うと。。

この時、私は一人暮らしをしており、月に一回実家に帰っていました。
2月くらいまではまだ元気だったんです。

抗がん剤を始めてから、3月には、、食欲もなくなり、痩せて、寝たきりになり、湯たんぽで足も火傷をしていました。それでもまだ会話はできました。

4月中旬、、実家に帰った時には寝たきりだけじゃなく、会話も、、、呂律も回らず、、何を言ってるのか分からなくなっていました。。

何かを私に伝えようとしているんです、、それでも分からず、、ごめん、もう1回教えて💦というのが続くと、、もういいよ!!って、、、悲しかった、、、母の言葉が分からず、、会話できないのが辛かった。。

それまでは会話して、母を笑わせたりすることもできたのに、、母と会話するのが怖くなった、、、

一人暮らしの家に帰るとき、、これが、母と最後に会ったことになります。。。

また、5月来るからね!!
ちゃんと食べるんだよ!!
無理しないでね!!

母は相変わらず言葉はほとんど聞き取れなかったけど、、

「気をつけてね!!」

この言葉だけは分かりました、、

自分が1番苦しいはずなのに、、最後の最後まで、、私の事や父のことを心配してる人でした、、、

食べ物だってほとんど食べられない、、それでも前日の夜に私が手料理を作ったんです。。
母は1口ずつ食べてくれました。。

美味しい??
聞くと頷いてくれました。。
嬉しかった、、ほとんど食べれず、飲み物もむせってすぐ吐き出してる状態でした。。

それでも、今思うと、弁当とかにしなくて良かった、、と思います。。

帰るとき、母の顔を見て、もう会えないんじゃないか、、そんなこともよぎりました、、現実となりましたが、、

そして、亡くなる2日前、、父とLINE電話をしました。。

その時、母の顔を見ました。。

最後、、何か言ってました。
長い言葉を、、何も聞き取れなかった、、、今となっては悔しい、、、悔しい

亡くなった日は、、介護ヘルパーさんが、自宅のベッドで息をしてない母を見つけたそうです、、そこから心臓マッサージ、、救急車、、父へと電話、、
父から電話で息をしてない!!!って連絡があり、、仕事を抜け出して、全力で家に帰りました。

電車に乗っている時手も足も震えていました。。
途中土砂降りになり、雷も鳴りました。
電車の窓から雨が流れて頭が濡れました。。
他の乗客が閉めようとしてて、それでも閉まらなくて、、
それより、、私は電車がとまらないことを祈っていました。。
母にLINEで生きて!!と伝えました。
もう、スマホを持つこともできないから、意味もないのに、、

私から祖父にも電話しました。すぐに病院に向かってくれるよう伝えました。

途中父から電話がありました。。
その時、、私は
「なんとか息を吹き返したよーー!」って言葉を待っていました。。
むしろそれが当たり前だとすら思っていました。。

それでも、
「ごめん、、、、ダメだった、、、」
信じられなかった、、嘘だと思った、、電話を切って、駅のホームで泣きました。。

ダメだとわかっていても、、急いで病院に行きました。。

母の、、遺体と面会のとき、、会いたいような、会いたくないような、、
それでも会うしかありませんでした。。

母は眠っていました。。それくらい綺麗な顔でした。。
声をかけたら起きるんじゃないか、、そう思うほどに。。

震える手で額に触れました。。ごめんね、触るよって言いながら、、
冷たかった、、あぁ、こんなに冷たいのか、、

父は
ごめん!!ごめん!!って謝ってた。それと、
「あ、今、まつ毛動いたよ!!」って言ってた。。

病院から自宅へ母を送る。。

家に着いて、とりあえず母に食事を用意して、父と母と私で一緒に寝ました。。

まぁ、それから色々ありましたが、お通夜、告別式、、火葬と終わりました。

母は嫌がるかもしれないけど、亡くなった母の顔を写真と動画で残しました。

最後、辛かったのは告別式の後の棺桶の蓋を閉めるとき、、もう会えないから、、あと、火葬室に入る母を見送る時、、骨になった母を見た時、、頭蓋骨を、、母の顔を見た時、、

やっぱり体がなくなるっていうのは辛い。。。

それでも、後悔も感謝も多いけれど、、少しずつ前を向いて、、生きていきたいと思う。。

生前、母の写真や動画は少し残してある。
だから、母の声や顔を忘れることはない。。

私がいつか、死んだら、、あの世で待っていてくれる、、そう思えば、、死ぬことも少しは怖くなくなる気がする。。

それでも、、今すぐにはいけない、、やることをやってからあと60年くらいしたらそっちにいくから、そしたらまた、甘えさせてくれ、、

姿は変わるけれど、必ず私を見つけてくれ。




今までありがとう、、辛いけど、あなたの子供は頑張ります。

また会う日までさようなら。。。大好きな母へ