おつかれさまです。
今私の職場にとても親切な方がいて、私の一挙手一投足にすべてダメ出し、否定非難をしてくださる方がいます。
その方は私が入った当初から「ありがとうございます」を言っていたら、「すべてこの人の為になるだろう」と自分がミスを犯すのもそっちのけで私を教育してくださっています。
教えてくださるのは助かりますが、見張られていると感じてしまいます。
今まで結構学んできた私は、とても次元が低いことに思えてしまい、同じ土俵に立つことが出来ませんが、快適と呼べる環境ではありません。
酷く罵るような物言いで、根本に愛があるなら真摯に受け止めることも出来ますが、また鬼のような形相でアドバイスくださります。
そのことの学びから、「自利利他の精神」が浮かびました。
「親切で{あなたの為に教えてあげる}」と根本が愛であるなら、慈しみの表情になるはずです。
それは他人利であり、そこには赦しもあるはずです。
根本が意図した悪意、自分の為であるなら鬼のような形相で何一つ許さないでしょう。
それは自利で、私利私です。
私のミスを指摘してもらって知らないことを教えてもらえるのは次に活かせるのでありがたいですが、どうしてそこまで敵意剥き出しなのか、負の感情の矛先になるのが我慢できません。
私は彼女にとってそこまでの脅威なのでしょうか。
悪意に対する私の嫌悪感がまた彼女を駆り立ててしまうのでしょう。
発する言動は自分のうちから来るもの。
自分を愛せないから他人を愛せない。
自分を赦せないから他人を赦せない。
その証拠に彼女はよく自分を悪く言います。
私がいくらステキだと言ってもその場で気持ちよくはなっても、届かないのです。
私を下に見て、「聞く耳」のない状態の彼女には何を言っても届きません。
口ではうまいことをいっても、「無い」ばかりを見て「在る」を見ない人も同じです。
二極化があからさまになっている証拠です。
どうか彼女も愛に包まれますように。
私の周りに愛が溢れますように。
そしてあなたの周りにも愛と笑顔が溢れますように。