「育ち」というのは一生つきまとうけど。。
たぶん良く書いてるネタですけど、
私はボロアパートに24歳くらいまで家族と住んでいました。食べるに困らなかったし、今はむしろあのシャワーもクーラーもない生活が良い経験だったとすら思えます。
しかし思春期には、相当キツくて。。
お金持ちの家に生まれた友人も少なくなく、とにかく恥ずかしくて、よっぽど親しい人以外に、例えば送ってもらったら家の前までは決して来てもらいませんでした。
家がバレるのが嫌だったからです。
こんな汚いところで暮らしてるの??って幻滅されたら怖かったからです。
高校入ってからは、ラーメン屋でいつもバイトして掛け持ちなどもしてあくせく働きましたが。。。みんながキャバクラなどでバイトする中で、そこでもやっぱ結構な貧乏人でしたw
基本的にビビりなため、生きにくかったです。
きっとつまらない自分のプライドがあったのでしょう。馬鹿にされたくないって。
何不自由なく親のお金使ってる子供には負けないって。。。それに親のことは本当に尊敬していたし、ここで自分が自分を否定しちゃ親が可哀想っていう気持ちも同時にありましたけど、実際は。。。やっぱり隠し続けてて。。。
そんな頃、働いても大したお金にならないことにも嫌気がさしていたんですけど、頭使うよりも身体動かしてする仕事がやっぱり多く。。
イヤイヤ働き続けていた気がしてたんです。
その後、運良く良い経験になるお仕事や音楽に囲まれつつ、結局空いた時間を作らないように仕事をする自分がいて。。。
それも過労で倒れたことすらあるくらい。
「働かざるもの食うべからず」
ばあちゃんや父さんがよく言ってた言葉。
イヤって思ってたって、
本能で働かずにはいられないっていうことに
この歳になってやっと気が付き始めた。
しかも楽しんでる自分がいたりする。(ドMは相変わらず)
今だってこの長年、子育てしてきてやっとひと段落なところでアルバイトを始め。。ハニ男の給料で十分なはずなのに、こうなると。。
働くことがzただのリラクゼーションでしかない。
どんな人がやりたがらないような仕事でもダサい仕事でも、誰かのためになってたらやる価値があって、楽しいことになる。
今となっては何でも与えられるだけ有難いって思えます。こんな自分に出来ることはしたいって。
長年かかりましたけど、
ボロアパートに住んでいるだけで幻滅するような人の言葉に傷つく必要もないということを学びました。何事も胸張って生きられるように、自分の嫌なところも全部、認めなきゃいけない。
そしてどんな環境で生きてきた人にも、敬意を持たなければいけない。感じ方って人それぞれだから、自分の感性の中だけに正解は求められない。
育った環境が、人を作り上げているなーって大人を見ても子供達をみてもすごく感じる。
だから、やっぱり人に気にかけてもらってる愛してもらってる事って根の部分で大事なんだなって思います。
人から見たらそんな恵まれた環境ではなかったかもしれないけど、曲がりくねりながらもここに辿りつく強い心は、どんな時も愛してくれた家族や幼馴染のおかげで作られたものだろう。
自分もそうやって一人でも多くの周りの人に愛情をあげられるようになりたい。。
「育ち」は変えられないけれど、
なにかのキッカケで、誰かの愛情で、
プラスにしていくことができるかもなーって
思います。
せつないです。
