2013.9.17 パナマ運河をぬけようやく「エルサルバドル」に到着しました!(^^)!

南米に入ってからは、毎日が勉強勉強でかなりカルチャーショックを受けています。

ヨーロッパは観光を思いっきり楽しみましたが、モロッコ、ジャマイカ、パナマ、エルサルバドルでは船内や現地で
戦争や貧困、経済格差、社会問題について学び、それぞれの問題に直面しいろいろと考えさせてもらっています。


80回クルーズ ピースボートの本来の目的は「過去の戦争と向き合い、未来をつくっていこう」というものでした。
私は1989年生まれなので戦争に関わったこともありませんし、学校で習う程度の知識しかありません。

だから私は今回の世界一周の旅で「知らなければいけないことを学びたい」という気持ちが強くありました。(日本の原爆や震災のことも含め)

「戦争」「貧困」「宗教」など
豊かで平和な日本で生活していたら、リアルに知ることのできる機会なんてそうそうありません。

このまま大人になって、子供を産んで子育てして・・・・おばさんになって・・・・。。。。
大切なことを知らないまま、歳を重ねていってもいいのか?

そう自分に問いかけることが昔からあり、20代になってから
「いつか生まれてくる自分の子供に、大切なことを教えていける自分でいたい。」
という想いが出始めてきました。

だからピースボートでは世界の過去と未来について真剣に考える機会を積極的につくっていこうと決めていました。


今回の寄港地エルサルバドルでは「内戦の傷跡をたどる」というプログラムに参加しました。

この内戦は1980年~1992年までの12年間、エルサルバドルで7万5千人の死者をだしました。

1992年なんてつい最近のことです!内戦なんてニュースで聞くくらいでピンとこないし、知識もないので、実際に内戦がおこった場所に行くのはとてもリアルな体験でした。


この内戦は、もともと政府や富裕層の自己利益だけを考えた政策のせいで、輸入品が急激に増え、物価が上がり、農民たちは働いでも働いても農作物は売れず
生活維持が出来なくなる極限の状態まで追いやられた結果、民衆達(農民)が自分たちの尊厳を訴えるために政府にはむかってデモを起こしたのがきっかけだったらしいです。

しかし政府はそれを受け入れることなく、武力でデモを起こした農民を殺戮し、夥しいほどの血が流れました。
この時農民以外にも、罪もない子供女関係なくすべて殺されました。民衆はただ自分たちの尊厳を訴えたかっただけなのに・・・・。


私たちはアン・フランシスさん(元反政府のゲリラ兵でピーズボートに乗船してくれている水先案内人)の案内のもと、サンサルバトル(都心)のある公園にいきました。
ここで出迎えてくれたのが、内戦で家族を殺されたり、子供たちを誘拐されていまだ見つかっていないという被害者たちでした。
(彼らは「プロムスケダ」という団体で、いまだ見つかっていない誘拐された子供たちを探し続けている組織)

 

内戦時、政府はまぎれて、自分たちの利益のために子供を誘拐し、ヨーロッパやアメリカに高値で人身売買をしていました。

その結果1万人もの子供が誘拐され、今でも被害届がでているのが800件らしいです。
プロムスゲタは誘拐された親達を中心に、政府に訴えかけ386人もの子供を海外から見つけ出してきました。

 


私たちは彼らに平和の願いを込めて折った「おりづる」を、手渡し、

 

一緒に一列になって歩いて
死者の名前が書かれた石碑のまえで追悼しました。

 

そして、死者の名前の近くに一つずつおりずるを張り付けました。

私の生まれ年です。

 

歌手のピーターヤーロさんも一緒でした。
 

 

 

あまりにもの名前の数に、鳥肌がたち涙があふれてきました。

 

被害者たちの中には、石碑に書かれた名前をさわり泣いている人もいました。


その後、証言会で
身内を殺され子供までも誘拐されたという女性の話を聞きました。

 

彼女は毎日毎日神に祈り、わが子が無事に生きていることだけを信じて、活動し続けています。
でも彼女はもうお婆さんで体も小さくて、精神的にもとてもつらい毎日を送っていると思います。

この先どうやって生きていくのでしょうか?
体が動かなくなって病気になってしまったら、誰が面倒をみてくれるのでしょうか??

そんなときにそばにいてあげるのが家族です。

大切な家族をすべて奪われてしまった彼女は今後どうしたらいいのでしょうか??


彼女は私たちと痛みを分かち合える機会をもらえて
感謝していると言っていました。


ふと彼女の姿を自分の母親の姿に置き換えて考えてしまった瞬間、導線が切れて涙があふれ出しました。

 

政府は後に残された被害者のことなど、無視で自分たちの犯罪も認めようとしないらしいです。
全部もみ消して、何もなかったように1992年(内戦終結)に平和条約を結んで
イメージアップのために経済発展に力をいれているらしです。

 

プロムスケダは真実を訴え続け、政府を敵に回してでも
誘拐された子供たちを最後まで探し続ける。と言っていました。


私もこんな辛い話を聞かせてもらって、ただ共感するだけじゃなくて
自分にできることを考えたいと思いました。


「小さいことでも、何かしなくちゃ。」

私は、この経験を一人でも多くの人に伝えることが指名だと思いました。

私の拙い文章では絶対伝わらないし、言葉でも伝えきれないかもしれないけど
世の中にはそんな人達がいるってことを皆に知ってもらいたいです。

彼女たちの辛い経験と現在の活動が
世の中にもまれて風化されてしまわないよう・・・・・。


私にできることは絶対やっていきたいと思いました。


行方不明になった子供たちが生きていて、無事に親の元に帰れますよう。
心より願います。

 


このプロジェクトに参加できたこと、つくってくれた井上ディレクター、証言してくれた被害者の方々に深く感謝します。
本当にありがとうございました。