おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

 

シンガーソングライターのR!Nです。

思っていた以上に濃い1年。

下半期編、長くなりそうですが引き続きゆる〜い目で見てください。笑

 

ではでは。7月ツアーのおり返し、ストロボカフェでのライブから!

 

横浜O-SITEが終わったあとは、北参道ストロボカフェさんでのライブがありました!

 

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TOMOOちゃんとは物凄く久しぶりの対バン!

3月のマウントレーニアを観てから、会う度に進化していくTOMOOちゃん。妹みたいに可愛いけど、ステージに立つ彼女の姿は本当にかっこいいし、とても尊敬しています。

 

夏希さんともとってもお久しぶりで、「Daisy」が聴けて控室でノリノリにハモってました。笑 ギターもピアノも自由自在で本当に凄い・・・!キュートな歌声にクールな曲!クセになります。

 

 

ちなみに

この頃MICOちゃんと初対面!

初対面にして井の頭公園のアヒルボートでラブラブデートをし、焼き団子を「あーん」し合うという意気投合ぶり。

この頃に、この事は絶対仲良く慣れると直感したのは、間違っていなかったようです(*^^*)

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これが後の、2manライブに繋がるわけです◎

それはまたのちほど描きますね!

 

そしてツアー終盤戦!

最後の土地は私の第二の故郷、福岡です!

故郷愛媛から始まり、第二の故郷福岡で終える。

自分にとって、思い入れのある順番でした。

 

少し長くなりますが、福岡を私が第二の故郷と呼んでいる理由をお話します。

 

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フィリピンで高校を卒業して帰国してすぐアルバイトを始め、私は貯めたお金で福岡に来ました。新幹線やバスではなく、当時一番安かった夜行フェリーで行きました。

 

北九州に親戚はいますが、私が行ったのは多々良という場所でした。

 

なぜなら、私には歌を届けたいと強く思う相手がそこにいたからです。

 

フィリピンにいた頃、私は日本の文化に触れていたいというホームシック的な気持ちから、「ニコニコ生放送」という場所で歌を歌っていました。人前で歌をうたうようになってから、現地での生活では得られない、日本語でのリアクションやニコ生特有の専門用語(わこつ、えんちょつ、wktk、スーパーコテハンタイム…覚えてるかな?笑)を覚えて楽しく配信していた時に、出会ったあるリスナーさんがいました。

 

その方はとても親切で、家族のように接してくださり、フィリピンの親戚たちに、、とクリスマスプレゼントを送ってくれたり、日本のお菓子を差入れてくださったりしました。

 

当時、ライブ活動をしていなかった自分としては【差入れ】の文化は無く、なにかニコ生以外のことで恩返しがしたいと思っていた時に、たまたま見た彼のブログで彼が余命宣告を受けていることを知りました。

 

当時の私はまだそんな場面に触れたことがなく、ただただショックだったことを覚えています。

 

でもあくま彼はリスナーさんの1人で、1人だけ特別扱いをするのもどうかと思ってしまったこともありました。だけど、そのブログを見たあとでは、放送に来なかった時に「大丈夫かな?」と心配になってしまうようになりました。

 

日本への帰国が迫る中、私はどうしたら恩返しができるか考えていた時、彼のブログに「緩和ケアに移ることになった」ととある病院の写真が載っていました。

 

そこが、「たたらリハビリテーション病院」さんでした。

 

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一人旅も初めてだったので乗りたかった電車に乗れず目の前で逃したり。愛媛のローカル線しか乗ったことがないような田舎娘に1時間を超えるような距離と時間、電車にのるのはとても勇気が入りました。

 

本人には会いに行くことを伝えていなかったし、名前の読み方もわからなかったので、受付の方に名前を見せて、面会させてもらいました。

 

「どういったご関係ですか?」

と聞かれ、家族でもないし、伝えるのに迷った末に、「友人です」と答えたけど、「友人!?こんな若い子が?!」と想われたに違いません。笑

 

病室にて初めての対面で、自分の想像以上に弱っていた彼を見つけてショックを受ける私を見て、彼は「まさか会いに来るなんて思っていない相手が目の前にいる!」とかなり驚いていらっしゃしました。この時、もう声は出せなくなっていて、筆談でお話をしました。

 

面会のあと、病院の方々に出会いの経緯や私自身のことを聞かれ、色んなお話をしました。

 

何故、私がここまでして会いに行ったか。

余命宣告をされていたから、だけではなく、

 

 

こんなメールを頂いて、私の歌で生きる力を与えられていたことがとても嬉しかったからです。

 

病院の方から聞いた話でですが、彼には身内がいませんでした。お見舞いに来たのも私が最初だったそうで、病院側も驚いたようでした。

 

そんな中、一度でもいいから、歌を目の前で届けたい。いつかでは遅い。ライブ活動を始めたら、では遅いと思い、病室で彼が敬愛するMISIAさんの曲をアカペラで歌いました。

 

私も彼も泣きました。

担当医さんも泣いていました。

 

私にとって、あの時間はかけがえのない時間です。

翌月、彼の誕生日で病院側からお声がけを頂き、チャリティライブを行いました。

 

病院に入った瞬間に「おかえりなさい」と迎えて下さった先生方。ここは、「ただいま」と帰ってこれる場所なんだ、と暖かさが胸にしみました。

 

広場で待っていた彼はストレッチャーに乗っていて、表情もかすかに分かるくらいで、かなり痩せていました。その姿を見ただけで、涙が出ました。1ヶ月で、人はこんなにも弱ってしまうんだと思うと、病気って怖いと思い知らされました。

 

そんな彼も含め、同じフロアにいた患者さんや担当医の方々に囲まれて、最後の一曲までしっかり歌を届けました。時折声が震えたり、かすかな表情の中で私の歌に反応している姿を見て涙をこらえたり。歌い終わったあとには押さえていた涙が溢れて止まりませんでした。

 

その日が彼にとっての最後の誕生日になりました。

49歳でした。

 

そんなきっかけがあって、それ以来私は毎年「たたらリハビリテーション病院」さんでチャリティライブを行っています。【ただいま】と言える場所で、歌を届けています。

 

福岡は、私の歌への強い想いが生まれた、第2の故郷です。

 

彼をはじめ、沢山のリスナーさんやファンの方々に支えていただいて迎える日々には、とても重みがあると思います。

当たり前ではない【明日】を生きているこの瞬間も、感謝していきたいです。

 

そんな中で初めてのツアーを組み、最後に福岡で締めくくれたことは、これからも大事にしていく【たしかなもの】の大切さを実感することができました。

 

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院長先生と、彼の担当医さん。

毎年、本当にありがとうございます。

 

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ツアー開催・来福をお祝いして頂きました。

本当に暖かい街、暖かい人達です!

 

 

そして最終日は、病院の職員さんからのご紹介で出演することができた、黒崎SECさんでのライブでした。

 

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満員!熱気も勿論ですが、土地側の暖かさもしっかり感じられた最高のツアー最終日となりました。

 

共演した方々も最高に暖かい方々ばかりでした。

最後のセッションも楽しかったー!!!立ち位置すぐ上にあるスピーカーに頭をぶつけたものいい思い出です。笑

 

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そして、福岡にてサプライズも!

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東京から来て下さった方も多く、やっと会いにこれた!と九州から来てくれた方も。これまでのツアーの記録をアルバムにしてくださっていて、皆さんのお声や写真…駆け抜けてきた初めての一人きりツアーが終わったのを実感して、

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思わず号泣。笑

 

 

本当に幸せものです。

 

 

いつも、ありがとうございます。

大切にします。これからも。

 

ほんと!!!すごかったのこのアルバム!!!

このアルバムのために描き下ろして下さったイラストとかメッセージとか色々あって。。

 

愛がたくさんこもったアルバムでした。

 

これからも挫けそうになったときや、みんなの力を借りたい時に、きっと何度も読み返すと思います。

 

来年はもっともっと、皆に愛を届けたいなぁ。

 

 

 

さて、かなり長くなりましたが下半期編②はここまで!

終わる気がしないぞ!!!!

だけど書き終えないと年は越せない!

 

次回、下半期編③をお届けします。

お楽しみに〜〜!

 

 

R!N