今、



どんな風に人の話を聞いたら

どんな風に反応したら

何を言ったら




正解なのか、不正解なのか。




目の前の人に嫌われないためには、


目の前の人の価値観に反しないように


するには。





正解、不正解



私は何に対してもいつも


これが基準になっている。




昨日、さあこさんとお茶をして、


みなみさんと電話をして、


モヤっとしていた。


なんか違う。


なんか居心地悪い。



なんでかな、って思ってその時のことを


思い返していると、


今、その場での正解を探していて、


自分は間違っている、


ってジャッジしていた。



自分が感じること


自分が判断すること


は、


全て間違う前提。




どうせ、私が間違っている。




それで、


普通は


優しい人は



とか、正解を探していたんだな。。。




今の自分がいなくて、常に正解は?正解は?


ってしてて頭の中は忙しいし、


会話に集中できてない。


しばらくモヤモヤして、


Facebookで助けを求めて、


そしたら、



正解不正解


にこだわる自分はダメ


(講座で教えてもらっていることと違うから)


正解不正解に拘らないのが◎




って、



自分を裁いていたことに気がついた。




しんじゅ塾で教えてもらうこと


心屋の教え



正しい、正解



で、



それ以外の考えは、



間違い、不正解



ってしてたことに気がついた。。。。






違う違う〜〜ーーーー





正誤に拘ってもいいんだ


ほんとはどっちだっていいんだ。


でも、私正誤に拘って生きてきて、


苦しかったじゃん?


なら、正誤に拘らない生き方もあるよ


こっちの方が生きやすいよ



ってことなんだなあ〜ーーって思った。


正誤に拘って生きてもいいし、


正誤に拘らずに生きてもいい。


どっちも選べるよ!ってことかな



これが自由、ってことかな






正解でも不正解でもいい


というか、正解不正解って、


ほんとにそれぞれだと思った。


その人にとっては、



その人の価値観にとっては、



大正解なんだ。





だったら!!!



私の価値観で、私がこうしたい、


こうありたい、


って思うことこそが、


私の大正解でいいんじゃんーーーーっっっ




私の正解は誰かの不正解かも知らんけど、


それでもいいんだ


違っていていいんだ



私は考え方を選んでいいんだ


好きな方を選んでいいんだ


好き嫌いで、


心地いいか悪いかで、


選んでいいんだ





って思ったらふーーーっと楽になった






私は、


人の話を聞くときは


その人になったつもりで体験したいし


興味を持ちたい。


自分の気持ちを話したい。


目の前の人の気持ちを感じたい。





それでいいんだと思った。




好きな価値観をえらんでいいんだな



選んで生きていくんだな


誰かの借り物の価値観じゃなくて


自分で選んでいくんだな、、、


なんか、自立だあ