先日の一時帰国、実は不幸があっての帰国でした。
K氏のおじいちゃん(Y氏のひいおじいちゃん)が亡くなり帰国したのですが、Y氏にとっては物心ついてから初めての「人の死」との対面でした。
亡くなったひいおじいちゃんに会わせること、泣いてる大人たちやお骨を見せること…
子どもの心には負担かな?と思いつつもこれから先ずっと避け続けられるものではないので参加させましたが、Y氏は泣きも嫌がりもせず、想像より落ち着いていました。
それが韓国に戻って少し経ってから、
「花ちゃんは死んだんだよ」と突然お人形が死んだ設定に…
いい気持ちはしないものの、ふざけてる感じでもなかったので彼なりに意味があると思い「悲しいね」とかリアクションして付き合いました。そしたら数日後
不謹慎すぎる遊び…やめさせたい気持ちをこらえて見守りました。
すると
「焼いたから、また生まれたよ♡」と。
そして付け加えるように
「ひいお爺ちゃんもだよね
」
と言いました。
その時初めて、あぁこの一連の遊び(?)を否定しなくてよかったと思いました。
6歳のY氏にとってもひいおじいちゃんとの別れは間違いなく悲しくて、死は怖かったのです。それを優しい幻想に包むことで「受け入れる」努力を子どもなりにしていたのだと思いました。
もちろん命はそんな単純ではないけれど、そんなこと頭ではわかっていながらの、精一杯の茶番だったのかなと思います。
ちなみに、これをしたのは1度だけ。
子どもの言うことやることは時に残酷だったり大人の常識からはずれていたりするけれど、でもその行為にはいつだって真っ直ぐすぎる意味が存在している気がします。
うまく言えませんが…韓国だからと諦めず、ちゃんとお別れに行ってよかったです。
Y氏にもひいおじいちゃんのそんなおおらかさが受け継がれていたら嬉しいです♡



