この歳まで生きてくると、学生の頃とは違い、周りの人たちの人生も多様になってくる。


「自分には耐えられないだろうな…」と思うような経験をしたという話も聞く。

その度に、相手の立場になったつもりで想像してみるけれど、自分が想像している悩みや苦しみは、実際の何分の一、何十分の一、もしかしたら何百分の一なんだろうなと思う。


小林麻央さんの闘病と訃報しかり、

友人たちの苦労話しかり。


私自身はつい先日まで、彼との喧嘩で悩んでいた。

私にとっては自分の人生がかかった問題。

悩みに大きい小さいなどない。

とはいえ、つい最近知った友人の置かれている現状は、私なら耐えられないような状況だ。

今日も電話で話した。

必死で毎日を明るく生きようとしているのが分かった。


悩んでいるときは、鬱々としてふさぎこんでしまうものだ。

そんなとき、心にふっと風が通る瞬間がいかにありがたいものか、身に沁みている。

だから、なにか言葉をかけたい。


無責任に大丈夫だよ、とは言えない。

元気だして、頑張って、はもっと言えない。

一緒に悩んだり、恨み節を言ってもお互いが辛くなるだけだ。


なんと声をかけたらいいんだろう………??と考えて、

自分自身が悩んでいるとき、自分に言い続けていた言葉をかけた。


「自分に一番近いところにいるのは自分自身だもんね。自分からは逃げられないから、辛いよね」

「だからこそ自分を一番に大切に」

「心が少しでも安らかでいられる方を選んで」

「悩んでいいし、落ち込んでいいし、考えなくてもいいよ」

「どんなに後退しても、沈んでも、必ず前進する日はくるよ」

「大丈夫」

「いろんな選択肢があるよ。道はひとつじゃない。人により、立場により意見は変わる。正解はないよ。だから大丈夫」

「自分の心と身体が健康ではじめて幸せになれるんだから、それを一番に大切にね」


言いすぎた(言葉数が多すぎた)かなアセアセ


でもこれは、すべて私が自分自身に言い続けてきた言葉。


大丈夫。私がどんな行動をとっても、私の運命は決まってる。

その行動の先に、必ず、なるべき未来が待っている。

安心して悩んで、苦しんで、迷っていい。

大丈夫。


私なら耐えられないような現実に直面している彼女。

ほんの少しでも心に風が通り、次に進み出す心の余裕になればいい。