ベージニオ4日目
昨日の夜は便秘解消
でも緩くはなかったです
その後にずっと鈍い腹痛が続きましたが、寝たら治りました
副作用が少しずつ始まってきたみたいです
兄が急に亡くなった時、「そんなに痛みも感じず亡くなった」そう医師が言っていたそうです
本当にそうなのかは分かりません
だって死んだ人の本当の痛みも苦しみも分からないですから
でもそう聞いた時に、周りがせめてものと安心感を持ったのは間違いない
どうにか残された人間は納得しようとする
後悔だってする
私も兄を亡くした時は何年も後悔しました
他人に「対応が冷たかったもんね」と言われて落ち込んだ事もありました
確かに、大人になっても小学生並みの意地悪する兄は、うざいなぁと思う所はありました
でも兄弟だからとお互い、どこかで甘えてたんでしょうね
急死と違い、がんは時間があると言われてる
でも残された人はその『時間』を納得出来るのだろうか
残された方のSNSを見てると後悔してる方が多い
急死でも時間があっても、死というのは残される者にとって辛いものというのに変わりは無いですね
ステージ4のがん患者である自分自身も『時間がある』と言われても全く納得しませんけどね
「命の制限付きましたよ」って言われてる様で嫌な気持ちになります
命の制限なんて決められたくないし
長男は「そんな事を考えるのが間違ってる」と今、精一杯病気を治す事を考える様に言います
旦那は「お前が死んだら、仕事を辞める 生きる気力がない」と言う
次男は私の病気についての話はこちらが言わない限り、触れようとはしません
触れよう・・・というよりその話題にあまり触れたくないみたいな感じ
私、まだ死ねないし死なないです
私が居なくなれば、いまの家族を見てると家族が崩壊しそうな感じがあるんですよね
子供達が独立して、旦那を一人にしてしまうとダメ人間になりそうな不安もある
人はいつか死ぬ
じゃあどんな死なら納得出来るのか
歳をとって子供や孫に看取られて、死ぬのが幸せな亡くなり方なのか
一人でひっそり死ぬのがいいのか
病院で医療従事者に見守れられて亡くなるのがいいのか
結局、人それぞれなんですよね
思い通りの死なんて出来る人がどれだけいるのでしょうね
私、「平均寿命までは生きるぞ!」とは思ってないんです
でも、来年も再来年もずーっとまだまだ暑いなぁ、寒いなぁと言いながら生きていたい
只々平凡な暮らしをしていたい
だから力を入れすぎず治療も日常生活の一部と考えて、生きていけたらなぁと思ってます
あ、でも完全奏効は目指してますよ
最初は気合いで乗り切らなきゃやってけない状況もありました
でも無理に力入れすぎると後で精神的に疲れる事も覚えました
今はありのままの自分を受け入れる事は大事だなと思ってます
頑張る事も辛さも嬉しさもありのまま
感情に逆らいすぎずにその時、その時で・・・
皆さまも色々あると思いますが、ご自愛くださいね