こんにちは、リロです。

 

 

舞台『未婚の女』

20日(金)昼、22日(日)昼の2度観劇しました。

できればダブルキャストをどちらも観たかったですが、時間的に今回は叶わず…。

宮村さんの回を2回楽しみました。

今回はその感想や疑問などを拙い文章ながらも残しておこうと思います。


また、記事には存分なネタバレを含みますのでご注意ください。

さらに、この文章は私が見たものの「記憶」を通して「記録」しています。

個人の解釈や記憶違いが含まれる可能性もございますので、それを念頭に置いてお読みください。

 

 

 

 

 

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日曜昼の最後の挨拶で、夏川さんが「観る人の年代によって感じることも変わってくるのでは」とおっしゃっていたのでここで簡単な自己紹介を。

 

 

今年21となる大学生です。女です。

舞台を観る経験はこれで3度目です。

はじめての舞台は『オルレアンの少女』。

ご存じの通り、夏川さんきっかけです。

アフタートークでの溝口さんの「気軽に観に行って気軽に批判してください」というニュアンスの発言に感化され、知っている役者さんが出演している舞台を観に行ったのが2度目です。

 

物語を見聞きするのは好きですが、読み取るのは得意ではありません。

共通テストの得点は国語がダントツで低かった。

ちなみに次に低かったのは歴史(日本史)です。歴史のおべんきょう苦手でした。

 

また文章を書いて発信することも得意ではなく、今まで意識的に避けてきました。

間違ったことを書いて残して、

他人に、そして未来の自分に否定されることが怖かったから、だと思います。

 

 

舞台を観て、今を逃したら消えてなくなる記憶をどうにか遺さなくては!

という衝動に駆られたため文章を書いています。

暖かい目で読んでいただければ幸いです。

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さて、本題に入ります。

 

 

 

率直な感想ですが、「分からないことばかり。」

ストーリーを追うのに必死で、確かな何かを受け取れたのかさえもあやしい。というのが正直なところです。

 

気になったところをいくつかピックアップしていきます

 

 

 

 

○「ポストモダン」と「アンチポストモダン」

 

まず自分のなかでひっかかったのは、

「ポストモダン」「アンチポストモダン」の思想です

 

ポストモダン…事実に対し、真実は複数存在。他視点主義。

 

これに対し、

アンチポストモダン…客観的、歴史的事実を重視。

と解釈しています。

 

物語のなかで何度もでてくる台詞

「その罪をAであると告発する者は、Bであるとも証明しなくてはならない」

 

私はこの台詞がポストモダンを表すものであると受け取りました。

男と揉めるウルリケは「~Bであるとも、Cであるとも証明しなくてはいけない」と声を荒げていました。

罪の事実に対し、複数の真実の存在を認めなくてはいけない、と。

 

しかし、はじめにこの台詞を口にしたのは(私の記憶が正しければ)裁判シーンの検察官でした。

客観的事実によりマリアを罪に問う検察官はアンチポストモダンであるはずです。

 

自分のなかでこの言い回しがあまりしっくりきません。だれか解説を頼みます…。

 

 

 

 

 

 

○3世代の女性の共鳴

 

物語を通して、同じ台詞を複数人が繰り返し、被さるように唱えるシーンが何度もありました。

印象に残っているのは、マリア、イングリッド、ウルリケの3人が共鳴するように唱える「「「息をしている」」」

 

宮村さん(イングリッド)や夏川さん(ウルリケ)が被告人のマリアとして法廷に立ち、山村さん(マリア)の存在は誰の目にも耳にも届かない、というシーンがありましたが、ここに繋がっているのではと思います。

 

これはマリアが過去を思い出していること表すのか、あるいは日記を読んだウルリケらがマリアの過去を追体験しているのか、

 

 

 

 

 

 

○はだか

 

冒頭、マリアは裸で倒れているところをイングリッドに発見され、救急車で病院に運ばれます。

マリアはなぜ裸で倒れていたのでしょうか。

 

倒れていた理由としては

1.自分で命を絶とうとした

2.高齢による体の不調

3.イングリッドによるしわざ

などが思いつきました。

 

イングリッドは倒れたマリアを発見後に服を着せたことから3は考えにくい

となると1,2のどちらかになりますが、それにしてもなぜ裸なのでしょう。

 

この物語は「裸」や「服」に関する出来事がいくつかありました。

 

・ウルリケは関係をもった男達の裸を写真に収めていた

・ドイツ軍兵士は「服があったらなあ」「普通の服があったらすぐに逃げ出せるのになあ」と“幼稚な空想”を口にしていた

・法廷にて「ナチスの魔女を裸にして吊せ」

・(これは記憶に自信ないがたしか)マリアの日記を読む直前、イングリッドと電話中のウルリケは風呂上がりの裸

・マリア「病院は丸坊主にされて裸にされた病人だけがいる場所」

 

 

また、マリアが「服があったらなあ」という言葉を独白するシーンがありました。

これは単にドイツ兵士の言葉を思い出して繰り返しているだけかと思っていましたが、マリアの心情ともリンクするのでしょうか。

 

収容所・病院にいることに大きな恐怖を感じているマリアにとって、裸であることはつらい過去や罪を思い出すトリガー?

 

 

 

 

 

 

○一本の樹

 

物語のなかで樹はとても重要なシンボルであり、マリアの心の支えでした。

灰色の壁しか見えない収容所を出てから、緑色の樹を見ることができることに大きな喜びを感じていました。

 

またマリアは樹を女性と重ねていました。

「女性はしぶとい」「樹はしぶとい」と。

 

エレクトラとして憎悪に燃えるイングリッドは手斧(=樹を切る道具)でマリアに襲いかかろうとします。

 

また密告によって処刑された脱走兵は野原の一本の樹に吊されていたそうです。これは樹=女性(マリア)に殺されたという暗喩でしょうか。

 

一方で、最後のシーンで過去に関係を持った男に殴られ自殺を図るウルリケは

「彼は美しい手をしていた。一本の樹みたいに」と発言しました。

樹は女性の象徴と捉えていたので、この台詞はとても引っかかりました。

 

この“彼”は脱走兵のことであると思います。

そういえば裁判にて脱走兵の父が「息子は私とは違い、妻から受け継いだ細い手をしている。」というようなことを証言していました。

 

女性から受け継がれる強い血は脱走兵にも流れており、彼はしぶとく生きようとしていた、みたいな?飛躍しすぎ?

 

 

 

 

 

 

○赤い糸

 

赤い糸から連想するものはなんでしょう。

「運命の赤い糸」や「血の繋がり」などでしょうか

 

・マリアとウルリケによるあやとり

・赤い糸を断ち切るイングリッド

などは血のつながりを表しているのかなと思います。

 

 

気になったことの1つは、バーの男に赤い紐を首から掛けるウルリケです

 

ウルリケはなぜ一晩の関係になると分かっている男に赤い紐を?

書きながら思い出したのですが、この動きは以下のウルリケの台詞と共に起こっていました

「数時間後にあなたがどこにいるかは分かる」

「私の中」

直後に暗転

 

血のつながりが生まれようとしたけど結果なにもなかった的な??

 

 

また、自分で編んだ“何メートルもある真っ赤なロープのような紐”で自ら首をつったマリアも気がかりです。

 

マリアの編み物の技術は収容所で得たものでしょう。

赤い糸はイングリッドが断ち切ろうとして断ち切れなかったもの?

とても皮肉を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

<感想>

 

今回の舞台で特徴的だと思ったことは

出演者の皆様が、衣装替えもなくほぼずっと舞台上にいたことです。

特にコロスの4人は、所作と声色とヘアバンドだけで多くの役を表現していたのがとても印象的でした。ずっと舞台上にいるのでその時々のリアクションをとっていて、ころころ変わる表情が見ていて楽しかったです。

 

また舞台転換の助けとなったのは照明と音楽でした。

まさか厳格な雰囲気の能舞台でラデツキー行進曲を聴くことになるとは思いませんでした。私は観劇した2度とも脇正面の席だったため、西川さんが正面で生演奏されていて臨場感がありました。

 

あと思ったよりコメディのシーンもありましたね。

正直2回見てやっとわかったところもありましたが、

署長役をだれがやるのか揉めていたり、カメラに撮られる男が変顔やピースをしていたり、気が滅入るような内容の中に少しでもクスッとできる瞬間があったのもよかったです。

 

 

今回舞台を観に行くにあたり、少しでも理解できる部分が増えたら良いなと思い時代背景の予習をしました。

冒頭にも書いたとおり私は歴史のおべんきょうに苦手意識があり、とても腰が重たかったです。

 

本を読み進めるうちに、かつてテストのために必死に暗記していた情報も

「舞台だとここはどう描かれるのかな」「この戦争を目の当たりにしたら私はどう感じるのかな」と生きた情報として頭に入りやすくなっていました

学びってこうあるべきだなと思いました。

このようなきっかけをもらえたことに感謝です

 

 

個人的な話になるのですが、

私は母の言うことを素直に受け入れられない時期が割と最近まで続いていました。

母は私を想って言ってくれていると頭では分かっていても、

どうにも“私って良い母親でしょう”感を感じ取ってしまって反抗的な態度をとっていました。

イングリッドにこれを言われたウルリケはどう思っていたのかな。

 

でも親って大変ですよね。

その人も「こどもの親」っていうはじめての役職をしているのに、こどもにとってはそれが手本であって人格形成の大部分を担っているんだから。

イングリッド、ウルリケがどんな幼少期を過ごしていたのか気になりました。

 

マリアは村の滞在日数の法律に則って兵士を密告したところ、戦後にヒトラー支持者として糾弾されたわけですが、

周りがYESと言っている中ただ1人NOと言うなんて無理ゲーじゃないかって思ってしまいます


同様に、生まれてから常識として教わってきたものに意を唱えることってとんでもなく難しいですよね。

結局人は結果論でしかものを言えないんだよなと思うと、どうにもやるせない気持ちになります


話が逸れました。



最後にはオタクらしく推しのことを書きます。

 

夏川さん、舞台本当にお疲れ様でした。

ユニットの大暴れツアーに続き大変なスケジュールの中での稽古だったと思いますが、本当に、本当に素晴らしかったです。

一オタクが言うのもなんですが、去年のオルレアンよりもさらに発声や表現力に磨きがかかったように感じました。

 

あとは他の共演者の皆様のポスト等を見るに、今回もとても愛されている座長だったのだなと感じます。

現場の雰囲気を明るくするのも夏川さんの魅力ですね。そんな夏川さんが好きです。

 

また舞台女優・夏川椎菜さんの活躍が見られたら良いな、なんて。

関係各所のみなさま、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

書いているうちに自分は何が書きたいんだろう…と迷走し始めましたが、これ以上先延ばしにすると記憶が混同してきそうなので一旦投稿してしまいます。

またとりとめのない考察もまとめられたらと思っています。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

追記

 

むずかしい、わからない、それでも考えて調べて探してまた考えて、分からないなりにこうして文章に遺すこと

これこそ私がこの舞台を通じて得たものなのかな

と、大川さんのブログを読んで思いました。


https://note.com/tmkokw/n/n2a926f92c77c



苦手でも下手でも

ブログを書いて共有することを、

人に言われるでもなく自然とやりたいと思えたのは、間違いなくこの舞台を作り上げてくださった皆さんのおかげです。

 

素敵な作品を届けてくださり、本当にありがとうございました。