私が一通り話すと、越智先生は
へ~、ホリスティック医療を経験してそこのクリニックのスタッフにまでなったの、さすが探究心の強い魂さんはそこまでするのね、自分で経験したかったのね~と言った。
……
このあたりは私の表面意識は全く違う。
先に書いたように私は絶対医療関係者にはなりたくないと思っていた。
でも結局やる流れになった。
後がなかったから。
私はO先生のところで働かせてもらうちょっと前。
それまで1年以上O先生の治療を受け、少しずつ良くなってきたとはいえ、精神状態はまだまだ酷く、以前の状態には程遠かった。にもかかわらず働ける場所を探した。
不安が強く、家にいても常に動悸が激しかった私は、家に一人でいるのがもう耐えられない、家にいても何も一つも楽しくない、心も安らがない、どんどん辛いことだけ考えて辛い思いだけループするという状況に陥っていたのだ。
この状況を抜け出すには、働いて人と話したり何か仕事に携わった方がいいんじゃないか、と思うようになった。
でももう一回言うけど、本当に精神状態は全く良くなかった。というか酷かった。
一人で電車に乗るだけで気が狂いそうになるほど怖かったし、電話が鳴るだけで恐怖で叫びだしそうだった。
本当によくそれで働こうと思ったな、と思うんだけどそのときの私は自分のことだけしか考えていないから。とにかく楽になる方法を探していた。
だけど、まずはパートからといくつか応募してみたけど、何の資格もなく、ブランクもある私を雇ってくれるところはなかった。
私はO先生のところへ治療へ行ったときに、パート先を探しているんだけど全然見つからない、という話をした。
するとO先生が、うちで働く?と聞いてきたのだ。
私は冗談だと思って、そんな無理ですよ~と応えた。
だけどそのまま話していたらもう一回うちで働く?と聞かれたのだ。
そのときは、無理ですよ-と断った。
が、家に帰る道すがら、働こうかな…と思う自分がいた。
そして次の治療へ行ったときに働きたいです、と願い出て私はクリニックのスタッフになったのだ。
資格がないのでできることには限りがあり、直接施術する訳じゃないにしても、クリニックのスタッフとして働くことは表面の私は1ミリも望んでいなかった。
だけど結局は私はホリスティック医療を間近で観ることとなったのだ。
働いている最中は、本当に何も分からず不安だらけで失敗ばかりで右往左往して、何度も辞めようと思ったけど、でももうあの濁った水の中にいるようなあの時期には二度と戻りたくない、ここで辞めたらもう後がない、と思い自分史上最大限頑張った。
本当によく自分自身を更新し続けたと思う。
そんで話を戻すと、啓子先生は、私の話を聞いて、
まずね、C県の先生は平安時代、はにさんが見えたように統合失調症の娘さんの父親だったんだけど、その前にね、はにさんはその人と一緒にインドで悪魔払いをしているの、こう太鼓をたたいて、と太鼓をたたく仕草をした。
だからはにさんがそのバーッと精神がおかしな世界に行ったのは、平安時代と悪魔払いの時代の解放なの。
と言ったのだ。
へ?インド?悪魔払い?太鼓…一緒に?
ちょ、急にそんなこと言われても…
あの人、インドでも一緒だったの?仲間…?
でもそうだとしたら、C県の先生は今回の人生で見事に私の憎まれ役を演じてくれたのだ。
本当に一時はあの人のせいでと強く恨んだもんだ。
でもO先生のクリニックで働くうちにだんだんとその病を発するのは自分自身に原因があるのだと気づいていった。
なにかきっかけがあるにせよ、病とは自分自身の問題として抱えていたものが外に現れるのだ、と。
それを理解していったので、気づいたら恨んだり憎んだりする気持ちはなくなっていた。
それからと啓子先生は続けた。
O先生は、はにさんの陰陽師時代のお師匠さんなのよ、だから助けてくれたの、とも言った。
そうだったんだ…でも何かしら陰陽師時代の仲間ではないかと思っていた。
だってあのクリニックで私は陰陽師時代の解放をしていたのだから無関係だとは思えなかった。
それに、あんなひどい精神状態の患者だった私をスタッフとして雇ってくれるなんて普通考えられない。
O先生から、病を発するのも治療に向き合うのも、自分自身の責任と言うことを身をもって教えてもらい、私はひどく憎んでいた人をゆるすということを知ったのだ。
ただ、O先生との関係性は私には見えなかった。
でもなんでかっていうと、お師匠さんだと分かってしまったらクリニックを辞めづらかったのかもしれない。
だって、そんときも今回の人生もお世話になったのに、私は違う道に行くってさ、選びづらい…
越智先生は続ける。
最後トラブルのようになって辞めたのは、はにさんが3年働いてもういいなと思ったから、O先生の意識に頼んでそうなったのよ、3年てちょうどいいの、ミになるっていうでしょ、三年間働いてご奉公したから終わりになったのよ、と言った。
あちゃー、私が辞めたいからO先生に頼んで(もちろん現実世界ではなく意識の世界で)辞める流れになったのか…
でも私はそれも感じていた。自分が辞めたかったから起こしたことなのだと。
陰陽師時代はO先生も私も男性同士だったので、男性エネルギーがぶつかりあってちょっと激しいやりとりになったのだ、と。
なるほど…
でも私はO先生にとても感謝しているし、深く尊敬している。
だからクリニックを辞めた後も、治療に通っている。
何より医者としてとても信頼しているから。
辞めるときに一時トラブルになっても、その思いは揺らがなかった。
それにたとえどんなにお世話になった関係性でも、自分の思いをちゃんと伝えるというのは大事なことだと学んだ。
自分がここで救われたのだから、今度はつらい思いをしている患者さんの治療の助けになりたい…そう思えたら話は簡単だったんだけど、私はそう思えなかった。
自分が治療に直接携わるということをやりたいという気持ちになれなかった。
そのことに罪悪感もあった。
あんなにお世話になったんだからとか、じゃあ他にやりたいことがあるのか、ないんだったら目の前のことを一生懸命やるのが筋、とかそういう感じの。
でも、どれもこれも自分の本当の気持ちを押し殺したニセの思いだった。
もう自分の気持ちをごまかすのがいやだった。本当の自分の気持ちをぐーっとぐーっと押し込んで見ないふりした結果、病気にもなったのだ。
そのことを教えてくれたのもO先生だ。
言いたいことをずっと言わなかったり、自分の本当の気持ちに向き合わないでいるとまず肉体の病気として現れる。それでも自分の気持ちを表現しないでいると次は精神の病気として現れる、患者さんを診ているとつくづくそうだ、といつも言っていた。
病気はたくさんの気づきや出会いをくれたけど、その方法はさんざんやりました。
だから私は気持ちがないことを伝え、やめることに決めた。
勇気がいったけど、ちゃんと意思表示したおかげで一区切りついて陰陽師の過去生の続きを見ることができたのだと思っている。
でも、とここで私はどうしても確認したいことがあった。
私には、賀茂忠行が陰陽師時代の師匠として強く感じるものがあった。
そして賀茂忠行は亡くなったA氏だという感覚が。
空気を振るわせて伝わってくるあの声をどうしても知っているという感覚があったのだ。
そのことをどうしても確認したくて越智先生にその疑問をぶつけた。
すると越智先生は、
その人もお師匠さんなのよ、お師匠さんて一人じゃないの、陰陽道って奥が深いからね。
と、こともなげに言った。
あー…二人とも…?
そんな答えは予想していなかったので、ちょっとびっくりして鳩が豆鉄砲食らったような反応をしてしまった。
しかし面食らっている場合ではない。あれを確認しなきゃ。
私は声のことを話した。
この人を知っている、体温を持った生身の人間として知っている、いつも近くにいた、この人の声を聞いていた、とても大事なことを教わった、陰陽師としても、人としても。その在り方をいつも見ていた。
賀茂忠行の小説の描写を読んだとき、知らない人のはずなのにこの人の魂を知っていると強く感じて恐ろしくて全身が粟立った。でもとてもとても懐かしくてハラハラと涙が流れた。
そのことを必死に伝えた。
私はそのときA氏のご家族の方が安倍晴明ではないかと思う、それはどうなんですか?ということも一緒に聞いた。
すると、越智先生は
そう、声ってね覚えているでしょ、と柔らかく笑った。
はにさんの中ではね、そうなのよと答えた。
この世界は自分の思いで創っているでしょ、はにさんの世界ではそうなの。
と言ったのだ。
私の中では、A氏が賀茂忠行でお師匠さんだったということなのか、そんでA氏のご家族が安倍晴明なのか?私の世界ではってなんだ、じゃあ他の人の世界では違うのか?
私は答えが知りたかった。A氏が賀茂忠行なのでは?と強く願っていたし、でももし違うなら違うとはっきり知ったほうが気が楽になるんじゃないかと思っていた。
自分の思いで世界を創っているなら、A氏が賀茂忠行で私のお師匠さんだったのかどうか私が決めていいということだ。
…いいのか?…どうしよう…頭がわちゃわちゃ混乱してくる。
が、過去生療法のセッションの時間て1時間しかないのだ。
もちろん表面の私は納得はしていないんだけど、とりあえずA氏が賀茂忠行で私の師匠ということにしておいた。安倍晴明についてはよく分からないのでとりあえず保留しておくしかない。
まだまだたくさん聞きたいことがある。
それにしてもA氏はもともとO先生の知り合いで、そこで繋がった縁なのだ。
A氏とO先生は陰陽師時代にも知り合いだったんだろう、と思った。
それからだ、私は精神がおかしくなったときに、でもそれを見ているもう一人の私が常にいたことを話した。
精神を患ったとき、私はとりあえず心療内科に通った。
けどもう一人の私は、自分が世界からずれておかしくなったことを知っていたので、必要以上に心療内科の先生に症状を伝えないようにしていた。
そのままの精神状態や症状を伝えるとどんどん薬が増えるし、精神病棟に入院しても良くならない、むしろもっと悪化すると告げていた。
それが正解なのか当時の私には分からなかったけど、越智先生が言うにはちゃんと私の意識は知っていてそうするようにしていたのだと。
(ただこれは人におすすめできないので、何かしら心配な症状のある人はちゃんと専門家の診断を受けてくださいね)
それから私は越智先生にどうしても聞きたいことがあった。
それは過去生の見え方についてだ。