沖縄について二日目。
ついに越智先生のセッションを受ける日を迎えた。
バスとタクシーを乗り継いで恩納村にある天の舞へ向かった。
早く着きすぎてしまい、そこから1時間以上天の舞のカフェで過ごし、セッションの時間が近づいたところで診療室前の待合へ行き、ソファに座りそのときを待っていた。
やっとここまでこれた…でもなんか実感がない、ずっと待ち望んできたのに当たり前にことが進んでいる。
越智先生に呼ばれて診療室に入った。
越智先生は、過去の診療記録を見ていたのか、ああ、御嶽山の人だ、懐かしい~と言った。
まず軽く雑談をする。
すると、越智先生は、
はにさんは、なかなかに探究心の強い魂ね~と言った。
え?そうですか?私は早く答えが知りたい、楽して生きたいと思うタイプなんですが…
と応えると
いいえ、過去にかなりいろんな修行を経験しているわ、と言ったのだ。
え~そうかな…めんどくさいこと嫌いなんだけど、と私は心の中で思った。
越智先生から
それで今回は?と聞かれる。いよいよ本題。
全部は長すぎて話せなかったけど、私はかいつまんで話した。
前回のセッションで越智先生に陰陽師と告げられた話、その時代治療がうまくできず逃げたと告げられた瞬間、そのときの光景がブワッと浮かんだ話、でも怖くて見なかったことにして誰にもそれを言えなかったこと。
だけどあの瞬間、髪の毛の長い、着物を着た平安時代の貴族の若い娘が深い精神の病を患っているところが見えた。
今でいう統合失調症のような症状に思えた。
(なぜだか16という数字が見えたのでたぶんそのくらいの年齢の人だったんだと思う)
その娘の父親と母親らしき人の姿も見えて、やはり平安時代の貴族の姿をしていた。
娘の両親はひどく取り乱していた。その両親から何とか娘を助けてくれ、と懇願されている男の人が見えた。彼が陰陽師だろうと私は思った。
とくに父親の方は、ちょっと狂気を感じるような凄まじい執念でこちらに依頼してきていた。
だけど私は治せなかった。
想像よりずっと早く病が進行してしまい、その病も相当な深さのような感じがした。
もうほとんど本来のその娘さんの人格ではなくなってしまっている状態だった。
治せない、とその苦しさと父親からの異常なプレッシャーで私は逃げた。
その場所から遠く離れたところに行ったように思う。
でも結局逃げたところで、苦しさは変わらなかった。
生涯、逃げた自分を責め続けていた。
あの娘は生涯気が触れたまま過ごしたのだろうか、家族はどうしただろうと思うと、辛すぎて精神がもたず自分の方が気が狂うのではという恐怖におびえていた。
それらの光景が見えたんだけど、口に出せなかったこと。
(こうやって書くと時系列があるように思えるけど、普通の時間軸と違い、一秒もかからない一瞬の間に様々なシーンが見えてああ、こういうできごとがあったんだと理解した感じだった)
それ以上その光景について何か考えたら自分の精神があやうい、と思いすべてなかったことにしたこと。
それらをすべて見なかったことにして普通に生活していたのだけど。
沖縄でセッションを受けた3年後、私はC県にあるクリニックに通っていた。
その時期私は紫外線アレルギーの強い症状が出て、外も満足に歩けない状態だった。
太陽の光を浴びると皮膚が刺すように痛み、ひどい頭痛と吐き気がした。
そのクリニックで意識面から病を変えるという治療を行い、その治療中に精神を患ったこと。
ショックを受けて脳内が沸騰したようになり、熱がこもって顔が赤くなって唇も剥けて肘もやけどしたようにヒリヒリ痛んだ。
常に頭にお湯がたぎっているような興奮状態で世界が恐怖だらけになった。
なにが起こったのか分からなかったけど、もうそのクリニックには行けなくなった。
この世界のすべてが恐ろしくなり、そこからさらに精神薬やアルコールを多量に摂取して酷い状態になったこと。
一歩も外に出ることができなくなったこと。
でもまだ外に出ることができたギリギリの時期、ホリスティック医療を行うO先生と出会ったこと。
O先生のクリニックではOリングという方法を使って患者さんの体に確認して治療法や薬を処方する統合医療を行っていたこと。そこでホメオパシーの治療を受け始めたこと。
騒音の多い東京の家にいるのが耐えられなくなり、いったんは東北の実家に帰って、そこからO先生に電話をして症状を話し、ホメオパシーのレメディを送ってもらっていたこと。
そして徐々に良くなって、東京に帰ってきてからもO先生のクリニックに通い、あるときO先生からここで働く?と聞かれ、クリニックのスタッフになったこと。
O先生には本当にいろんなことを教えてもらい助けてもらったこと。
(啓子先生は、私がこの話をしているとき、私からO先生への感謝のすごいエネルギーを感じる、と言っていた)
3年間自分を取り戻すように必死に働いて、O先生にもとても感謝していたのに、なぜかだんだんとうまくいかなくなってある日、ちょっとしたトラブルが起きて辞める流れになったこと。
その後、和解したときに、O先生が患者さんから神社へ行ったときに過去生の行いを心から謝罪するといいと聞いて、さらにその話を聞いた私は埼玉県の大宮にある氷川神社を訪れたこと。
その後、越智先生に言われた陰陽師時代の続きが自分にも見えたこと。
O先生のクリニックで私はこの陰陽師時代の続きをしていたと気づいたこと。
(クリニックでのOリングの治療の際は、天然素材の服を着ることを決められていて、私は麻や綿の素材の白のTシャツやシャツを着用し、ボトムは紺色やグレーのガウチョパンツを履いていたんだけどそれがまさに陰陽師の時の服装を表わしていたのだ。他のスタッフさんも同じような格好だった。)
C県の先生は陰陽師時代、娘をなおしてくれ、と懇願してきたあの父親だったんだと分かったこと。
だからあの先生の治療を受けて私は精神の病を患ったのだと理解したこと。
それらを話した。
それにしてもと思うのが。このときからちょっと時間が経って思ったのは。
表面の自分は楽して生きたいと思うのにそうならなかったのは、あれだ。
越智先生が言うように、奥深いとこの私は修行好きだったみたい…
え~辛いのイヤだ~めんどいのイヤだ~と思うのに、きっと私が修行好きだからいろいろ経験したんだろうな…
それにしてもだ、精神の病を自分で体験するってさ、命がけだよ、修行好きにも程があるよ…
私の魂は自分ならそれさえも乗り越えられるって思ってたんだろうか…
いや、たぶんもう地球で生まれ変わるの最後にしようと挑戦したんだろうな。