令和2年は思ってもみなかった年になった。
私にとってもそうだし、日本中のみならず世界中の人達にとっても予想外のことの連続だったと思うのは想像に難くない。
こんな、世界中の人が一斉に同じ体験をすることってなかったんじゃないだろうか?
今までの生活が一変し、働き方や将来に対する漠然とした思い、生き方そのものまでこれでいいのかと考えるようになった。
個人個人でそれぞれがそれぞれの形で色んなことを体験したんだろうな、きっと。
呼吸法のオンラインワークの時にズームで繋がっていた方がおっしゃった。
今までの人間の在り方のひずみみたいなものが、今回のコロナで一斉にあぶりだされたのではないか?
私たちはこれを糧にして、これから何が大事なのか、環境問題、経済問題等含めて色んなことを今一度振り返る必要があるんじゃないか?
そうしないと、これからコロナが収まったとしても在り方を変えないとまた別の形に変えて突き付けられるだけなんじゃないか?と。
そんなことをおっしゃられた。
うーん、と唸る思いだった。
早くコロナが収まるといいねと口々に言い合っていたけれど、
そう思っていたけれど。
たぶんそれで終わりにしたらダメなのだ。
今、一人一人がひずみに気づかないと。
問題は別の形でふたたびやってくるんだろう。
私たちの意識が変わらない限り。
自分にとって全体にとって良いことを模索していく努力が必要なのだ。
だけどひずみっていったって、何がどうすればいいか分からない。
世界は色んな形で、予想を遥かに上回るスピードで変化していって自分一人だけが意識したって変わらない事だらけのように思う。
その羅針盤に、呼吸法がなってくれるのではないかとそのワークのとき代表の方がおっしゃられていた。
みんなそれぞれ何か心に羅針盤を持っているんだろう。
呼吸法をしていく上でもっといろんなものに気づけたらいいなと切に思う。
色んなことを経験した令和2年だった。
痛みもあったけれど、学びも大きかった。
あの時人生をあきらめなくて良かった。
生きることを投げ出さなくて良かった。
苦しくて絶望しかなかったあの時を経て、今の私は呼吸をしながら世界が以前よりまばゆく見える。
そんなことをしみじみ思いながら、私は令和2年最後の今日1日を過ごす予定。
最後に、4月から始めた拙い私のブログを読んでくださった方、すべての人にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。