11月も中旬の週末、丸の内にある三菱一号館美術館で開催されている、「ルドン、ロートレック展」へ行ってきた。
主人が会社の福利厚生でチケットをいただいてきたからだ。
ルドンて誰だ?
ロートレックって誰だ?
名前は知っているけど、よくは知らない。
私の乏しい知識では、ルドンは花瓶に活けられている花を描いた人。
ロートレックはポスターを描いていた人。
そんな認識だ。
ルドンが活躍した時期は、時期的には印象派の画家たちのそれと同一だが、印象派とはちょっと毛色が違うところにいる。
私個人は印象派の絵が好きなので、ルドンはややそこからはずれてしまう。
それでも今まで何度かその作品を鑑賞し、幻想的な気配を漂わせ、繊細な色彩を展開する絵を描く人だなと思っていた。
そこにある幻をふわりと掴み取って絵に描いてみた、というような印象だ。
ふと手をふれると壊れてしまいそうな儚い絵をこの世に生み出したルドン。
内向的で病弱な幼少期を過ごし、画家となってからも長男を病気でなくした悲劇もあった。
が、65歳の時にはレジオンドヌール勲章を授与され、その後展覧会でも一室を与えられたり画家としての人生は恵まれたものであったようだ。
しかし76歳の時、戦争で行方不明になった次男を探しあるき、体調を崩し亡くなってしまう。
哀しい最期だったようだ。
じゃあ、ロートレックはというと。
ロートレックはムーランルージュ等のいわゆる酒場、ダンスホールのポスターを描いた人物だ。
少し彼のことを調べると哀しい履歴が紹介されている。
彼の両親はいとこ同士の結婚で、その影響か、ロートレックは近親婚による遺伝子疾患に由来すると思われる骨粗鬆症や骨形成不全症などの身体の発育異常を患っていたそうだ。
成人しても彼の身長は152cmしかなかったとのこと。
父から絵に対する理解も得られず、身体障碍者として差別を受けた彼は、娼婦や踊り子などの夜の世界の女の人たちに共感、ひどく傾倒するようになる。
そうするうちアルコール依存症や梅毒を患い、心身ともに衰弱していく。
展覧会では、晩年は精神が破綻していたとの記述があった。
晩年と言ってもロートレックの没年齢は36歳だ。
享楽的で華やかな夜の世界を数多描いたロートレックだが、彼の最期もまた哀しいものだったのだ。
そう思って観るからなのか、ロートレックの絵はその華やかさと夜の世界の喧騒を描きながらも、どこか退廃的で孤独を感じさせる。
ロートレックは、差別も、才能も、夜の世界を生きる女性たちへの愛も、そして孤独も、すべて使い切って絵を描き、自分の人生を生きたんだろう。
チケットをいただいたので何気なく足を運んだけれど、思いがけず心打たれる作品とその画家たちの生き様にたくさん出会った。