O先生を見ているとつくづく思うことがある。

 

 

それは先入観を持たず、真っすぐにその人に向き合うということがいかに大事か、ということだ。

 

 

O先生は精神科の先生ではない。

 

 

けれど、色んな患者さんが心身の不調を訴え、何とか良くなる方法はないだろうか?と探し訪ね歩いてやってくる。

 

 

何件も病院や色んな治療法を試した末にやってくる患者さんもたくさんいる。

 

 

私もやはり、心身とも酷く病んでO先生のところを訪れた。

 

 

患者さんは、O先生の前で色んなことを話す。

 

 

私は会計や雑談しているときなんかにちらっと聞くだけなのだけど、本当に皆さん色々なものを抱えている。

 

 

それはいわゆるオカルト現象というか、人に話したら鼻で笑われたり、大丈夫?病院に行ったら?と揶揄されるような話もある。

 

 

そういう人たちがおかしいかというと、そうは思えない。

 

 

きちんと働いて、高収入を得ていたり、社会的地位のある方もいっぱいいる。

 

 

ただ、人に話しても前述のようにおかしいと言われるから皆さん黙っておられるのだ。

 

 

だけど、O先生の前では話す。

 

 

それは、O先生がその人の話を否定しないからだ。

 

 

だからといってそのまま信じる、ということでもない。

 

 

むやみに感情移入したりしない。

 

 

いつも俯瞰している。

 

 

その人にとって世界はそう見えているのだ、その人にとっては話していることは真実なのだ、とただその事実を受け入れているのだ。

 

 

そうすると、患者さんはほかの人の前でも言えないことでも安心して話すことができるのだ。

 

 

これはなかなか難しい。

 

 

聞く側が自分の芯を確立させていないとブレブレになるからだ。

 

 

乱れると、きちんとした治療はできない。

 

 

そして、ブレないように自分で自分の調整をすることも怠らない。

 

 

うーん、すごい。

 

 

ただ、O先生は清廉潔白な人格者というわけでもない。

 

 

結構色んな事が雑だし、領収書の扱いなんかもひどい。(どうかこの文章をO先生が読んでいませんように)

 

 

一度、領収書が、古いのも混じって、がさっと何十枚も束になって出てきて、そのまま封筒にいれて会計事務所へ送るように指示された。

 

 

が、私は几帳面な性格でないが、ながく経理関係の仕事をしていたせいもあり、どうしても気になる。

 

 

仕事の合間にざっと領収書やレシートを大まかに分類する。本当だったら日付順にしたいところだが量が多すぎてそこまではできなかった。

 

 

仕分けをしていたら、その領収書の束の中から1万円札がでてきた。

私はそれを伝える。

 

 

ほんま?やったーと喜んでいる。

 

 

えーと、大丈夫かな、と思いながら再度仕分けする。するとまた千円札が出てきた。

それも伝える。

 

 

ほんまや、と子供みたいに面白がっている。

 

 

…このまま送っていたら会計事務所の人の手を煩わせていたな、と思いつつ仕分けを終え、封筒に領収書をいれて送った。

 

 

O先生は、思い付きで何かをはじめることもあり、それにすぐ飽きて放置ということもわりと頻繁にある。

 

 

私は黙って見ている。

 

 

なんていうか、発見した思いだ。

 

 

自分を律し、清く正しく生きている人だけが、人を救えるわけでは決してないのだ。

人それぞれ、特技や、反対に欠点だってあるだろう。

だからといってそのことが、直接その人の人間的深さや治療者としての評価に必ずしも直結することではないのだと。

 

 

欠点があってもダメな部分があっても、患者さんを少しでもよくしたい、という実直な思いや、真摯な態度、努力は自ずと熱意として漏れ出て、ちゃんと周りに伝わるのだ、と。

 

 

だって、みんな、うそのないO先生のことが大好きだ。

 

 

私もとても信頼している。

 

 

知らないことは知らないという。

 

 

患者さんだからといって下に見たりしない。

 

 

ちゃんと、人と人として真っすぐに向き合う。

 

 

とても大事なこと。

 

 

私は、つくづくそのことを学んだのだ。