O先生は都内在住の関西人。

 

そして、こう言う。

「東京の人ってさ、なんかみんなで集まった時、誰々さんはすごいね、誰々さんもこんなしてすごいねって言うやろ?

あれ、ほんまに思うてはんのかな?

思ってたらすごいけどな」

 

 

えーと、それはどういう意味ですか?

 

 

「親しい人やったら、褒めるだけやなく、もっとここ、こうしたらいいんちゃう?ここ、そうやなくてこんな風にすれば?って言ったほうがええやん、それでみんな良くしていけたらええやん。そんなの」

 

 

うーん、それはそうだけどちょっと。

 

 

人に何かを指摘するのって、色々注意が必要。

 

 

あれ~、この人にこれ言ってあげたほうがいいかな、でもな、そんな人に何か言えるほど自分もちゃんとしている訳じゃないし、そもそもこの人だって、もしかして自分で分かっているけど治せないもどかしさがあるのかもしれないし、そこを指摘するって…うーん、やっぱり黙っとこ、となる。

 

 

こういう思いが東京の人には(たぶん)あることをO先生に話す。

 

 

「関西はな、自分がちゃんとしなくても言うねん。そんで、そっちもそうやんけ、言われたら、そうやな、アハハ、で、みんなで良くなっていこうってなんねん」

 

 

そうか、遠慮なく言うのは失礼、というより相手のことを思っていて、それでいて自分が指摘されてもそれを受け入れる度量があるのだと、そういう環境が当たり前なのか、と関西の土壌や人間関係にちょっと感銘を受けた。

 

 

 

あの時、私はどうすれば良かったのか?

 

 

私には30歳になるちょっと前くらいから30代前半までよく会っていた友達が居た。

 

もともと何人かのグループ内の友達だったが、周りの子たちがどんどん結婚して子供が生まれたり、旦那さんについて遠くに行ったりして滅多に集まることができなくなり、残った私たちは年に何回か会って、仕事終わりに銀座で待ち合せたり、お休みの日にランチをしたりした。

 

 

友達は羨ましいくらいほっそりと華奢で、ほのぼのとしたお地蔵さんのような柔和な顔立ちをしている。

 

 

ある時に夜の銀座で待ち合わせをしていた。

 

 

友達が現れる。

 

 

その時、ちょっとハッ!とした。

今までとは違った、フィギアスケーターの方や舞台の役者さんがするような、きっちりした濃いアイメイクをしていたからだ。

 

 

え~、全然雰囲気が違う。

何やら妖艶な感じすら漂っているような、

と、メイクの効果に感心した。

 

 

予約していた創作和食のお店に入り、席に着く。

 

友達の顔を見て、エ゛ッと驚く。

 

さっきは外が暗くてよく分からなかったが、店内の明かりの中で見ると、友達が目を伏せた瞬間、幅4ミリくらいありそうな、ものすごい太いアイラインが不自然な感じで目立ったからだ。

おそらく、アイシャドウとマスカラもしっかり施しているから正面から自分で鏡を見た際には気づかなかったのだろう。

 

 

 

どうしよう、

 

 

 

と私は思った。

 

 

これ、言ってあげたほうがいいかな、そのアイラインすごく目立つよって。

でも、傷つくかもな、メイクを指摘するなんて、私自身大した顔してないのに失礼じゃ…

 

 

迷った末、私は言わないことにした。

 

この後しばらく友達に会うたびに、このアイラインが目に入る。

3回目くらいまでは、私は心の中で言おうか言うまいか逡巡した。

 

 

でも、それを過ぎるともう完全に言えなくなった。

今更言うなんて、なんで今まで黙っていたんだ!となるだろう。

 

友達は1年半くらいして別のメイクへ変えた。

私はホッとしたんだけど、言ってあげるのが本当の友達だったんだろうか?

 

 

「そのアイライン目立つよ、治したほうがいいよ」

 

「え~本当?自分では気づかなかった、良かった、気づけて。ありがとう。

でも、私もちょっと言っていい?はにちゃんもファンデーション白すぎるんじゃない?」

 

「え~本当に?それも自分では気づかなかったわ~。ありがとう言ってくれて、お互い気をつけようね」

 

「そうだね、なんかおかしいと思ったらちゃんと言ってね、友達だから」

 

「うん、そうだね、ちゃんと言い合おう」

 

こういったやりとりなんかして。

 

 

うーん、うーん、そこまで言い合えるってなかなか難しいな。

 

だけどお互いを思い遣って、友達とそんな風に言い合えるようになったら、それは素敵なことだと思う。