独身の時に、病院や老人福祉施設で働いていました。
もちろん、その頃は旧姓です。
患者さんや入所者の方にも、同僚の職員の人たちにも、当然ですが旧姓で呼ばれていました。
今、同じ仕事をしていると、私は旧姓に戻ったような感覚に陥り、今の姓に違和感すら覚えます。
ひとさまの名前を呼んだり、書いたりするときに一文字でも間違えることは大変失礼だと言われます。
名前とは、その人そのものだからなのでしょうか。
それならば、いとも簡単に、強制的に姓を変えさせる制度はおかしいような気がします。
せめて、夫婦が同じ姓に(どちらかが改姓)するか、どちらも改姓しないでもともと名乗っていた姓のままでいるか、選択できる制度になってほしいものです。
多くの人が「選択的夫婦別姓制度」を望んでいるのに、ごく一部の人がそれを阻んでいます。
子供がかわいそう。
そう言うんです。
まるでそれって、「共同親権」を求める人たちと被っていますよね。
本当は、子供のことなんか考えていないのに。
偽善者、差別主義者。
検察側のメンツのため。
冤罪であれば人の人生をこれほど踏みにじった行為
はない。
逆に検察を罪に問うてほしいくらいだ。
どれほど、謝罪し、賠償をしても、その人の人生を取り戻すことはできない。
誰かのメンツを保つためだけに他者を苦しめたり不幸にする制度など無くしたほうがいいのだ。
日本はそういう国なんです。
間違いを間違いと認めたくない。
謝罪なんてもってのほか。
いろんな言い訳を取り繕って、墓穴を掘って、見苦しい姿をさらす人たち。
「過ちて改めざる。これを過ちという。」
日本の衰退は、いつまでもメンツに拘って変わることができない人たちがこの国の権力の中枢に入り込んで自分達の意のままにさせようとしていることが原因じゃないのか、とさえ思えます。
この国に生きる人々の人生などどうでもいいんです。
そして、言うんです。
あなたが不幸なのはあなた自身の責任です って。