コロナ療養4日目。


コロナ陽性発覚が早く、コロナの初期症状期間に、早々に薬をもらって隔離生活に入ったおかげで、今のところ、高齢の両親に感染することなく、私自身の症状も、2日間発熱しただけで、平熱に戻り、喉の痛みも、咳もなくなりました。


見たかったアマプラの映画や、YouTubeも、見飽きてしまって、アメブロの闘病ブログを読んでいて、思い出したことがありました。


私は30代になってから、急に喘息を発症しました。


そして、重積発作がおきて、点滴治療で一度入院した後、発作と点滴入院を繰り返すようになっていました。


気管が細くなって、呼吸をしづらくなるのはほんとに辛いです。


喘息発作が起こりやすい時間帯は夜中から朝方です。

発作を鎮めるステロイド吸入薬は当然持っていました。でも、それを使っても発作が治らない時は、救急病院へ行くしかありません。


でも、自分で車を運転して行くことはできないので、夫に(当時は結婚していました)、病院へ連れて行ってくれるよう頼むのですが、これまでの経験で、何度も夜中に叩き起こされているので、


元夫は「我慢しろむかっ」と機嫌悪く怒鳴って、布団をかぶって寝てしまいます。


仕方ないので、上半身を起こして、虫の息でどうにか呼吸し、苦しいのを我慢しながら病院が開く時間を待つ。

そんなことが何回かありました。


休日は、元夫は自分の好きなアウトドアスポーツの趣味のために終日外出し、私は家でひとりぼっち。


住宅ローンの返済もあるのに、元夫は、生活費も一切、家に入れてくれませんでした。

その時は、2人とも正社員で共働きでした。


「こんな日々を寿命まで過ごすのなら、死んだ方がマシ」と思っていました。


いつもの如く、夜中に喘息発作が起きて、部屋が真っ暗な中、虫の息で病院が開くのを待っていました。

元夫にお願いしても、機嫌が悪く「我慢しろ」と怒鳴られるだけです。


でも、もう苦しくて苦しくて限界でした。


「お願い。病院へ連れて行って。おねがい」


いつもと違うと思ったのか、救急病院へ連れて行ってくれました。


医師から、問診をされるのですが、息を吸うのも吐くのもやっとで、苦しくて苦しくて、会話がままなりません。


それでも、絞り出すように口から出たかすれ声は、


「た、 す、 け、 て」


「し、 に、 た、 く、 な、 い」


でした。


自分で思いました。


黙っていれば、

死ねるチャンスなのに

なぜ死にたくないと言う?


「それでも、生きたいんだ、わたし」


そう思ったら、涙が溢れてきました。


それが本心なんだ泣くうさぎ

かなりショックでした。


あの時以来、辛いと思うことはあっても、癌で闘病して苦しかった期間も、死にたいと思ったことはありません。


なぜなら、「生きたいと思っている自分を知っているから」です。


そして、私は、子宮体癌ステージ4から生還しています。

再度、死ぬ機会を乗り越えたのです。