子宮体癌の手術後の5月、ベッドの中で私がしていたことは、スマホで求人情報を探すことでした。


6月に退院したら、すぐに仕事をするつもりでした。


でも現実と病気は、そんなに甘いものではなく、手術後は、抗がん剤の副作用で吐き気とだるさの戦い。

抗がん剤を中止してからも、抗がん剤の影響で心臓の動きが悪くなり、歩くことが禁止され、杖をついて歩けるようになったのは、退院して4ヶ月後だった。

その間は、訪問看護師さんと療法士さんとリハビリの日々。お風呂にも1人では入れませんでした。

それとストーマケアも失敗が続いて、外出するのが不安でした。


さらに、その後、血栓予防のための注射の副作用で、太ももとお腹を2回切開手術もしました。


その間も働く意欲は衰えず、ハローワークに申請をだしていた「雇用保険基本手当受給期間延長」を11月に解除して、障害者雇用で求職活動を始めました。


個人事業主として在宅で占いをする道もありましたが、病気療養中の健康保険の傷病手当に随分助けられたのと厚生年金に加入したかったので、就職する道を選択しました。


そして、働くなら、私が持っているスキルを役立てられる内容で地元に貢献できる地域密着の仕事をしたいと思っていました。


ハローワークの障害者雇用の窓口で相談したら、秋はまだ求人の数が少ないので、年が明けたら4月から仕事が始まる会社が求人を出すので、それから年探すといいとアドバイスされました。


そして年明けにスマホで求人情報を探していたら、今の職場の求人が目に止まりました。

災害現場で人のために働く人たちを支える裏方の仕事内容でした。


採用されるかどうかわからないけど、ハローワークに障害者雇用の紹介状を出してもらい、指定の履歴書と一緒に提出し、2月に面接することになりました。


そして2月末に採用連絡。

今に至ります。


まだ仕事らしい仕事はしていませんが、日頃の電話対応ややりとりする書類、職場の方々の日々のスケジュール確認や、いろんな資料に目を通す度に、「あぁ、私は国を支える仕事の端くれにいるんだ」ということを実感する毎日です。あくまでも、末端ですけど。


ベッドの上で絶望していた、私ができるスキルで地元に貢献する仕事内容の環境です。そういう仕事に就けるとは、予想もしませんでした。


「思えば叶う」という言葉がありますが、本当に叶いました。


1年間の期間限定採用ですが、契約更新の可能性がないわけではないらしい。


通勤楽だし、残業ないし、今のところ人間関係良好だし、契約更新になったらいいなあと、新たな「思えば叶う」を実践しているところです。