他の方のアメブロの闘病日記で、家族と短時間でも面会できなくて悔しいと言う内容のブログを読みました。


率直にいいなあと思いました。


私が札幌で、退院の目処もつかず長期入院しているとき、コロナ禍の真っ最中で、家族でも原則面会禁止でした。


同じ病室の中には、家族と面会できなくて泣いている人もいました。


それも、面会できる人がいて、いいなと羨ましかったです。


それだけじゃなくて、調子が悪くて通院するのもやっとという状態の時も、ご主人とか娘さんが付き添いて、婦人科の外来の待合室に家族であろう人と一緒にいる人を見かけて

「1人でも通院できるのに甘えるな」とか思っていました。

本音を言うと羨ましいんですけどね。


九州にいる家族と離れて、独身で一人暮らしで、1人札幌にいて、癌になったことを知られたくなくて派遣先の営業担当者と派遣先の会社以外には誰にも癌であることは言っていなくて、ポツンと1人。


その時期、癌になったことも、長崎の弟1人だけにしか伝えてなかった。それも、入院の保証人になってもらう必要があったからという理由。


入院の手続きも、保険の請求手続きも、社会福祉関連のサポートや退院後の生活のサポートにどんなことがあるか調べるのも、入院中に、病院内の相談窓口に通って、高額療養制度や傷病手当のことや障害年金のことや介護保険のことなどアドバイスを聞いた。


気を紛らわすために、慰めてくれたのは、札幌の山並みと雪景色、朝日の輝き、さっぽろテレビ塔と今私は、憧れのタワマンに住んでいるという妄想でした。

あの時の風景、今でも写真を保管しています。





家族に会いたくても、どうやっても会えない寂しさ。


申し訳ないけど、入院中がコロナ禍で面会禁止中で良かったと思っていました。


面会できないので、抗がん剤の副作用で食欲がない人のために家族からゼリーとか食料品が入った宅急便が届く患者さん、電話がしょっちゅうかかってきて、泣いている患者さんを見るのも「いいなあ」と思って見てました。


面会可能だったら、大部屋の別の患者さんの面会風景を見て、辛かったろうと思います。

私は、別の意味で泣いていたかもしれません。


でも、札幌で入院中、泣いたことはありませんでした。まだ、腫瘍もそんなに大きくなっていなくて、苦しくなかったし。


抗がん剤治療で、どんどん体力がなくなっていって、退院する時に、積もった雪でガタガタの歩道を小さなゴロゴロスーツケースを引いて歩くのもやっと、地下鉄の階段を登るのも息絶え絶えで、改札横のベンチでへたり込んで、長い間座って休憩しないと次の一歩を踏み出せなかったり、病院の看護師さんに「1人で来たんですか、付き添いはいないんですか」と聞かれる病状になった頃に、「もうそろそろ1人では無理かな」と思うようになってきました。


そして、脳梗塞で動けなくなった時に、九州の弟に病院から連絡がいきました。


それが札幌でひとりぼっちの終焉でした。


健康があってこそのひとりぼっちだったのです。

よく頑張ったなあ。


札幌で足を骨折した時も、顔面麻痺の時も、仕事は休まなかったもんなー。