家の下の空き地でクレソンを摘み取りながら、思ったこと。
母の詩吟の仲間の娘さん(50代)が、末期がんで全身に転移していて手遅れで手術ができなくて、余命3ヶ月と言われたそうです。
その娘さんが、大学病院から緩和ケアの病院へ転院するように促され、近々転院するらしいのですが、本人は「今の病院でいいのに、なぜ転院するの?」と聞いたという。
末期がんで余命が残り少ないとは聞いていないっぽい。
娘さんは、糖尿病の持病もあり、ずっと体調が悪かったらしいのですが、怖がって病院へいかなかったそう。それを親が無理やり病院へ連れて行き、末期癌が発覚。
母の妹のご主人も、病気を怖がって病院へ行かず、痛さを我慢できず救急車を呼び、強制入院。末期がんで手の施しようがなく、1ヶ月後に亡くなりました。
私も少量の出血が続き、病院へ行かなきゃと思いながら、なかなか行きませんでした。
人のことは言えないけれど、私も怖くて病院へ行けませんでした。
癌と言われた時、「やっぱりそうか」と思いました。
病院へ行ったのは、たまたまでした。
下腹部の重い痛みが続いて気になっていた時、たまたま仕事が早く終わり、近所の産婦人科の前を通りかかり、「今な、時間だったら受付にまだ間に合う!病院へ行こう」と飛び込んだのです。
そして細胞診となり、10日後に「子宮癌」と言われ、翌週に札幌医科大学の予約を入れられました。
そして、いくつかの検査を経て、初めての抗がん剤治療で入院中に、たまたま肺に血栓が見つかり、血栓が溶けるまで入院延長。
その後も仕事を続けながら抗がん剤治療。
抗がん剤治療4回か5回目の1週間前くらいの通院日に、たまたま病院で具合が悪くなり動けなくなってしまい検査をした結果、脳梗塞と診断され家に帰ることなく緊急入院。
結局、そのまま退院できませんでした。
弟の手助けを受けて札幌から長崎大学病院へ転院。
子宮、卵巣、大腸の一部を切除し退院。
再発防止のための抗がん剤治療で入院中に息が苦しくなり検査。抗がん剤の副作用で心不全を起こしました。入院中の心不全で対処が早く、ことなきを得ました。
そして、家で療養中に、ネットで障害者雇用の求人をたまたま見つけ、ハローワークを通じて応募。採用になりました。
そして今に至ります。
病院へ飛び込んだあの日、仕事が早く終わったのも、病院の前を通ったのも、たまたまじゃなかったんだろうな。
脳梗塞になった日、通院日と重なっていたのも、たまたまじゃなかった、と思えます。
自衛隊の求人に出会ったのも、すべて必然。
そんな気がします。
たまたまには、必ず、行動が伴っています。
行動なくして、たまたまはあり得ない
黙っていたら、手を差し伸べられることもないんじゃないかな。
たまたまに行動が伴って紡いだ命。
そして今、私は生きています。