抗がん剤の副作用なのか、食べ物が喉を通りません。


それでも、食べられるものを探した結果、ここ数日の主食がアイスクリームになってしまっています。


体重も徐々に減少していって、8月は、45キロ前後だったのに、今は、43キロ前後になってしまいました。


月曜と木曜の週に2回、理学療法士さんが訪問してくれてリハビリで運動をしているのですが、血圧も高くて、今日(月曜日)は、リハビリを中止して、マッサージだけしてもらいました。


理学療法士さんが来る直前に、母方の親戚の叔父が、亡くなったと電話がありました。

コロナ禍なので、葬式は行わず、家族葬で済ませるとのことでした。


叔父は、つい1週間前に、救急車で病院に運ばれたけれど、全身に癌が転移していて余命2ヶ月と診断されたと連絡があったばかりでした。


その叔父は、病院へ行くのが怖くて、家族の説得もきかず、自宅療養していたけれど、これ以上は、自宅に置いておけないと、娘さんが救急車を呼んだそうです。


「家でひとり、つらかっただろうなえーん

おもわず、手術する前に、私自身が苦しかった時期を思い出してしまいました。


ここ最近、指の関節や、肩の関節、股関節が痛くて、朝から、体をさすってもらったりしていたり、ご飯が喉を通らなかったりする状況もあり、病気する以前のように寛解する自分の未来を想像できなくて、気落ちしてしまって、簡単な運動もできず、仕事もできない私が生き残った価値遠感じられず、何度も、死んだ方がよかったのではという気持ちになっていました。


でも、身近な人の訃報を耳にして、死ねばよかったなんて、口にしてはいけないなと思い直しています。


おじさんは、癌が転移しすぎて手術できなかったけど、私は、手術できて、転移もなかった。

抗がん剤の副作用はあるけれど、経済的な不安もあるけれど、生きている。


前回、抗がん剤の副作用がひどくて嘔吐を繰り返していたとき、抗がん剤治療を継続するかどうか、主治医へ返答するとき、あまりに副作用が辛いのと、母に迷惑をかけることが心苦しくて「死んだ方が楽だ」と口走ったら、「辛いかもしれないけど、俺はリリリカに生きてほしい」と弟に言われました。母からは、「あなたが決めたことに従う」と言われました。


生きながらえたので、これからまだまだお金がかかります。働く願いも叶わないかもしれません。

癌の再発もあるかもしれません。

それでも、できることを、ぎりぎりまでやってみて、その中で、自分なりの光を見つけられたらいいなと思うようにします。

「あの時、死んでいればよかった」とは、もう思わないようにしたいです。


おじさんが、病院へなかなか行かなかった気持ち、私はよくわかります。


私もそうだったから。

病院へ行って、癌と言われるのが怖かった。


出血にきづいた初めの頃に病院へ行っていれば、人工肛門になっていなかっただろうなと今頃悔やんでも、もう遅いけどね。


せめて、おじさん、楽になっていればいいな。

追記、おじさんは眠るように亡くなったそうです。

苦しみながら亡くなったんじゃなくて、良かった。本当によかった。