弟が言う「りりりかが、赤ちゃんがえりして困る」

私としては、自分がしたいこと、嫌なことを主張しているだけである。


いい大人だから、我慢しなければということは、もうやめた。我慢しなくても別の方法があるのなら、そちらをえらびたい。

わがままもしれないけれど、我慢しないで主張することも、大人がすることだとおもう。

弟が言っているのは、札幌の病院にいた時に、私が、「心臓エコーは痛いから検査を受けたくない」と言ったことや、新千歳空港から九州へ旅立つ時に、「カルビープラスで、じゃがりこを食べたい」と言ったことや、「きのとやのソフトクリームが食べたい」と言ったこととかだと思う。心臓エコーは、前日に受けた心臓エコーの検査技師が、エコーの器具をグリグリと力を任せに肋骨を押してエコー検査していたので、痛くて、痛くて、たまらなかったのだ。ただでさえ、札幌から九州へ旅立つ直前に、毎日高熱を出していて、熱の原因を探るのに検査が連続していたのと、お腹が苦しいのと、下血がつづいていたので、少しでも痛いことはさけたかったのが心臓エコーしたくないと言った理由。じゃがりことソフトクリームは、北海道から旅立つ前に、新千歳空港グルメを食べておきたかったから。赤ちゃん返りにも、ちゃんと意味があるのよ。

それと、大人になっても、痛いのは嫌。 なのである。普通に健康に生活している人は、毎日、からだに針をぶっ刺されて採血されないよねぇ。

私の体は、採血や点滴の痕だらけ。今、私の左手の甲は、内出血で赤青黒くなっているよ。自分で見て、ギョッとする。



我慢しているのは痛みだけではない。働きたい意欲も我慢している。どこかに自由に出かけたい意欲も我慢している。お金もないので、物欲だって我慢している。病院内のコンビニへ行くことも、自分でトイレに行くことも我慢している、身内に甘えるくらい許して。よね。ね。