私はJW2世として生きてきて、徐々に覚醒したものの、少なくとも親が生きているうちは辞めることなんてできない、そう考えていました。

 

両親といっても父は退職後にバプテスマを受けており、私にとってはずっと未信者の父親としての関わりでした。

 

父親が入信するのと同じぐらいのタイミングで私が離れることになり、入れ替わりという感じです(^_^;)

 

反対者として難しい時もありましたが、父親が長老であるような方と比べると、世の人としてほぼ生きてきた父親の存在は、経済的にも精神的にもありがたいものでした。

 

とはいえ、辞めると知ったら母も、母のために入信してくれた(?)父も、きっとショックを受けるだろうと考えると、両親が生きている限りは辞めることなんてできないという思いがありました。

 

母は私が小さい時から熱心に信仰しているので、我が子が離れるなど到底受け入れられないだろう、ショックを受けるだけでなく親子関係が消滅するのではと思っていました。

 

 

ところが…

 

 

私の場合は今、これまでで一番親子関係が良いように感じています。

 

妻と妻の母の関係も同じです。

 

もちろんすぐに良い関係になるはずはありません。

 

まず、奉仕の僕を削除になったタイミングで卒業宣言をした時は、驚かせ悲しませました。

 

距離が離れていることもありますが、顔を合わせて話す機会はすぐにはなく、電話やメールで手短に話しました。

 

様々な矛盾に耐えられないこと、排斥や断絶は避けるが、もうエホバの証人は辞めると、はっきり伝えました。

 

母は、「Fennelがそのように考えてしまうのは無理もないかもしれないけど、お母さんとしてはエホバや組織に対する確信は全く揺らいでいないのよ。終わりが近いのは火を見るよりも明らかだと思うよ」と言ってきました。

 

私は「火を見る方が明らかだと思うよ」と言いました(^_^;)

 

父親からも「早まらなくてもいいのではないか」と言われましたが、決意は固いことを伝えました。

 

以前の記事にも書きましたが、突然宣言してパニックにならないよう、「近いうちに辞めたい」という気持ちや理由を、卒業の2年ぐらい前から話しておいたのはよかったと思います。

 

 

その後いろいろな思いを十分に伝え合うことのないまま、1年ほど過ぎました。

 

お互い落ち着いてきたのではと思った頃に帰省したとき、予想に反して私の感情が爆発しました。

 

会話の端々で組織の良さをアピールする母の話に反応してしまい、組織や教理の矛盾、二世としての辛かった思いなどを、一気に吐き出してしまいました。

 

そこまで話す予定ではなかったので言い方も考えず、感情的になってかなりきつい表現をしてしまいました。

 

組織を糾弾し、今多くの二世が苦しんでいることを訴えたのです。

 

母は処理しきれず泣いてしまい、黙っていた父もそんな母を見て辛くなり、私に「もう帰ってこなくていい」とさえ言いました。

 

私は親を悲しませるような話し方をしてしまったことを後悔して父親に謝罪しましたが、もうこれで親子関係は終了したかと感じました。

 

本当に宗教によって家族が分かたれた…宗教さえなければごく普通の幸せで仲の良い家族のはずなのに、と本当に悲しい気持ちになりました。

 

 

もう一生話すこともできないかもしれないとまで思っていましたが、1〜2年の時とともに徐々に自然に戻っていき、少しずつですが、穏やかに話したり連絡を取れるようになりました。

 

両親も葛藤がありながらもいろいろ考えたのでしょう。

 

私たちに組織に戻ってくるようにというようなことは一切言ってきません。

 

今はこちらもJWに関するいろいろな情報があっても、もう両親に組織や教理のことをあれこれ言ったりはしませんし、そういう気持ちもほぼ収まりました。

 

今では身体のことやコロナのことを心配し合ったり、旬の美味しいものをたまに送って喜んでもらったり、ごく普通の親子の交流ができるようになりました。

 

 

話し方はまずかったものの、奥底の気持ちを吐き出すことは、親と子お互いにとって結果的に必要な過程だったのではと思います。

 

二世として、霊的な意味で親を喜ばせること、悲しませないこと、そんな意識が自然に身についていたと思います。

 

それが自分の中で何とも言えないくすぶった火種のようになったまま、現役時代は接していたように思います。

 

ですから現役時代の親子の会話はいつもすぐに論争のスイッチが入っていました。

 

結局私自身JW二世としての人生に納得がいっていなかったのです。

 

まるで親の人生を生きているような気持ちがどこかにあり、それが自分を苦しめていたのかもしれません。

 

その生き方を辞めるということを宣言したことにより、私もスッキリしましたが、もしかしたら親としてもどこか安堵した部分があるのではないかと思うのです。

 

息子夫婦が組織を離れてから伸び伸びと楽しそうに人生を送っている様子が伝わって、何か感じるところがあったのでしょうか。

 

親であるなら本来は、我が子に親のロボットとしてではなく、自分の人生を存分に生きて欲しいという自然な願いがあるはずです。

 

しかしJWという宗教を信じてしまったために、我が子もJWとしてハルマゲドンを生きて通過して楽園で永遠に生きること、それが子供にとっても幸せであり、そう導くことが親の務め、そう考えてしまいました。

 

ところが終わりは来ないまま親も歳をとり子供も中年になり、結果的に子供たちの人生の選択肢を狭めてしまったことに、一世世代としても思うところがあるのかもしれません。

 

 

子が親の人生ではなく自分の人生を生きる、ということについていえば母親自身も、祖父母からの激しい反対にもめげず、自分の信仰を貫いたわけです。

 

小さい頃祖父母の家に行くたびに、母と祖父母が言い合っているのを子供心ながら辛い気持ちで聞いていました。

 

「親が死んでも線香の一本も上げれないとはどういうことだ、親子の縁を切ってからにしなさい!」

 

「本当にもうすぐ終わりが来るのよ!騙されたと思って勉強してみて!」

 

いつもそんなやりとりをしていました。

 

結局祖父母も強制的に辞めさせることは諦め、納得はいかないまでも母の信仰を尊重したわけです。

 

 

結局のところ…

 

 

親子の歴史は繰り返すということです。

 

そうやって親は親で、自分の親の言う通りにはならず、自分の生き方を通してきたわけです。

 

母もそうやって両親や義理の両親を敵に回してまでも、自分の信じる生き方をしました。

 

ですから今度は我が子が、自分の思う通りの生き方をしなかったとしても、それはある意味当然であるということです。

 

そのありのままの本心をぶつけても許されるのは、そこはやはり親子だからだと思います。

 

 

私は親が生きているうちに、二世としての自分の本当の思いを伝えることができて良かったと思っています。

 

親を悲しませないようにと思うあまり、生きたくもない生き方をしていたと最後に知ったとしたらそれはそれで悲しむことでしょう。

 

さらには、覚醒していることを最後まで隠したまま親を見送るとしたら、結局最後まで親を騙していた、ということに自分自身苦しみそうな気がします。

 

親が元気なうちに本心を話し、これからあと何年か、何十年か分かりませんが、親子としての最後の時期の関係が穏やかなものとなったことは、私としては良かったと思います。

 

 

私たちのような例もありますので、せっかく覚醒したのであれば、親を悲しませたくないことだけを理由に、無理にJW人生を続ける必要はないのではと思うのです。

 

次回は、JW卒業後に得られた「心の自由」について書きたいと思います。