妻が卒業して3ヶ月、一人でいろんなことを感じながら集会にだけ参加しました。
奉仕も完全に辞め、ただ週に2回の集会出席のみ。
これまでの長い多忙なJW生活を思うと、最初はそれだけでも十分楽で平安だと感じました。
しかし、客観的に集会に参加してみて、この組織の偽善を改めて感じ、この組織と共にいることの虚しさを強烈に感じました。
もう迷いなく、早く卒業しよう!と思うことができました。
卒業の日としたのは、ちょうど区切りの良い年末最後の日曜日の集会です。
集会中、未練のようなものは全く感じませんでした。
場所は違えど子供の頃から35年近く通い続けた王国会館ですが…
特別な感情が湧いてくることもなく、淡々と集会を終えました。
集会終了直後に、親しくしていた友人夫婦の席に行き、耳元で「今日で最後にするね!」と言ってからまっすぐ玄関に向かいました。
するとその友人が玄関まで追いかけてきました。
彼はお互い何でも正直に気持ちを話してきた友人です。
長老や組織のおかしいと思うことも、お互い率直に話してきました。
彼は組織や教理がどうであろうと、大切に思う友人のためにいつもすぐ行動し助けを差し伸べるような情の厚い人間です。
彼には前から年末を区切りに卒業するつもりだと軽く話していたのですが、本当にそうするとは思っていなかったのでしょうか。
「もうちょっと待ってくれ!」と、何とか思いとどまって欲しいと言ってくれました。
その気持ちはありがたいのですが、もう決意は固いことを伝えました。
ずっと本音で付き合ってきた彼には正直に述べました。
「もう信じられなくなっちゃったのよ。これ以上は無理だわ。」
そんな風に言いました。
彼はそれでも、「ぼくは仮に全部嘘でしたとなっても辞めない。献身したんだから。」と言いました。
その場でもっと語り合いたかったのですが、彼とはまた話せると思い「ありがとな!」と言って玄関から出ました。
彼には前から話していたとはいえ、悲しい思いをさせてしまったのは複雑な気持ちでした。
彼ら夫婦は、私たち夫婦とよく悩みを相談し合いながら会衆内のゴタゴタにも耐えて頑張ってきただけに、裏切られた、という気持ちもあったかもしれません。
私の方も、普段の彼との会話から彼も組織の裏の事情をある程度知っていることや、私以上に繊細で傷ついてきたことを知っていましたので、「彼も辞めれば楽になれるのに」という思いもありました。
しかし彼のように、「たとえ嘘だと知っても残る。」と思っている仲間もいるのです。
彼は「献身したんだから約束は守る」と言いました。
私は、約束したとしても後になって間違いだったと感じたのであれば、人生を費やしてまで守り通す必要はないと思うのですが、彼には彼の考えがあります。
彼に私の決定を尊重して欲しいなら、私も彼の気持ちを尊重しなければいけません。
辛いお別れでしたが、後日時間をとってじっくり気持ちを話すこともできました。
ありがたいことに彼はその後も友人として交流を続けてくれています。
そして王国会館を出た直後、今度は一人の元長老兄弟が追いかけてきました。
父親ほどの年齢の兄弟で、長くこの会衆の調整者であり、15年ほどずっとお世話になりました。
最近になって長老を降りており、私と長老たちとのゴタゴタには関わりがありませんでした。
その兄弟が玄関で友人が涙ぐんでいたのを見て状況を察して追いかけてきました。
兄弟は「早まらないほうがいい、長老たちの状況は変わりつつある、今やめるのはもったいない。」と言ってくださいました。
前の記事でも書きましたが、私のことがあった後の巡回訪問後にM長老が奉仕委員から降ろされたり、新しいベテル出身長老がやってきたりと、会衆としては改革が始まってきたところです。
これから会衆が良くなっていくはずであり、今やめるのはもったいないというのです。
「人を見ていたらダメだよ、人につまずくのはもったいない。」
そう言ってくださいましたが、私はそれこそ人につまずいたというレベルではなく、この組織と教理そのものを信じられなくなったことが理由なので、何とも答えることのできないもどかしさがありました。
「人につまずいているわけではないんですが…」と濁すしかありませんでした。
この兄弟は真面目なところがあるので、言い方を間違えると、聞いた責任を感じて長老に報告しかねません。
そんなことまで考えて対応しないといけないことに虚しさと心苦しさを感じました。
「信じられなくなったから辞めます」
どうしてそうハッキリと言えないのでしょうか。
背教的とみなされ断絶や排斥扱いになることは望んでいなかったため、曖昧な返事しかできなかったのです。
その時のなんとも言えない、何かが喉につかえたような苦しさは本当にもどかしいものでした。
兄弟は私が決意が固い様子を察したようですが、「待ってるから」と言ってくださいました。
私は「ありがとうございます」としか言えませんでした。
本当は、「長い間お世話になりました。」ときちんとお礼を言いたいところです。
はっきり意思表示して「断絶」とみなされると一切の交流を断たれるというのは本当に極端であり、愛がなく、人としての尊厳を無視した制度だと思います。
それを避けるためには、口を閉ざしながら、自然に弱ったかたちでフェードアウトしていくしかない(自然消滅)ということになってしまいます。
私たちも長年この組織で育ち、多くの知り合いや友人がいます。
この会衆でも、一定数の方々と「人として」お付き合いしてきましたので、そういう方々にきちんとご挨拶ができなかったことは残念でした。
しかしこれでともかく長年のJW活動を卒業です!
おめでとう!(自分で言います)
妻も家で「おつかれさま〜おめでとう〜!」と私の帰りを迎えてくれました。
妻も言っていた通り、わたしの心もその時とても清々しいもので満たされ、心が軽くなるのを感じました。
これまでの人生でずっと背負い続けてきた重い荷物を、やっと下ろせたという感じでしょうか。
旅行に行って気分転換したつもりになっても、どんなに楽しいことをしても、どこか心の中に何かがつっかえているような、重たいものを持っているような、そんな感覚がずっとありました。
徐々にですが、そうした重りがすーっとなくなる感覚というか、本当に解放されたんだという爽やかさを感じるようになりました。
年末だったため、年明けの爽やかさも格別でした。
JWの活動がなくなった以外の日常は特に変わりませんが、景色が変わりました。
同じ景色でも、見え方が変わっていきました。
JWとしての半生をブログに少しずつ書き続け、やっと卒業まで書くことができました。
読んでいただきありがとうございました。
もう少し、お伝えしたいことも残っているので、あと何回か続けようと思います。
よろしくお願いします。