妻が卒業した後の巡回訪問が終わりました。

 

巡回監督による牧羊で3長老からの扱いについて話しましたので、監督も長老たちに何かしら話したはずです。

 

しかし訪問後に私に対して長老たちからは何もありませんでした。

 

監督からも、牧羊の時に時間切れになったまま、その後何のコンタクトもありませんでした。

 

長老たちにとって、離れようとしている成員をどう助けるかということよりも、今回の件をこじらせたくない、監督から「マイナス評価」をされたくない、ということが優先なのではと思います。

 

きっと、私の側が反抗的で長老たちの判断が妥当だということをいろいろと監督に話したのでしょう。

 

私がいないところですし、何とでも言えると思います。

 

しかし残念ながら、M長老には「マイナス評価」が下されたようです。


M長老は奉仕監督からヒラの長老に降格し、代わりに直前に隣の会衆から入ってきた長老が奉仕監督となりました。


MT卒のM長老は必要で来てからまだ8ヶ月ほどであり、本来なら最初の巡回訪問を経て調整者になるのが自然な流れでした。


それが奉仕委員からも外れヒラの長老になるというのは、明らかに降ろされたということでしょう。


私たちに対する扱い方や、私の僕削除に関する虚偽報告が理由なのかは分かりません。


 

M長老による独善的な扱い方に疑問や不満を感じていたのは私たちだけではありませんでした。

 

ある主婦の姉妹がおっしゃるには、直接監督に話す機会はなかったのですが、巡回姉妹と話をしたところ、とても話の分かる方だったとのことです。

 

巡回姉妹はその姉妹に「黙っているのではなくてちゃんと話していいのよ」と言って下さり、勇気付けられた姉妹は、手紙をしたため巡回監督に渡してほしいと巡回姉妹に手渡したのでした。

 

巡回監督の妻は立場上、誰かの肩を持ったり、知り得た会衆の情報を監督に耳打ちしたりするというのはなかなか難しいことでしょう。

 

しかしこの巡回姉妹は、姉妹からの話を聞いて、会衆や長老団の問題の深刻さを感じ取ったのかもしれません。

 

「監督に直接言った方がいいわよ」と姉妹の背中を押してくれたようです。

 

手紙の内容までは聞いていませんが、その姉妹は私の母親ぐらいの世代の正義感の強い方で、長老団(特にM長老)の不公正な扱いにいつも心を痛めておられました。

 

そのようにしていくつかの情報が集まって、M長老の処分が決まったのかもしれません。


 

そしてその巡回訪問ではさらに人事の調整がありました。

 

直前に隣から長老が入ってきたばかりで長老4人と人数は揃っているにも関わらず、さらにベテル出身のベテラン長老が遣わされることになったのです。

 

必要として新しく入ってきた3長老でスタートして1年も経たないうちに、ベテル出身長老が必要で遣わされるということで、この会衆や長老団に明らかに問題があるということが近隣にも丸分かりとなってしまいました。

 

20代途中までここを地元としてエリートの道を進み、20年以上たって地元に会衆の必要と、近くの会衆にいる親の世話のために戻ってきたM長老。

 

今回のヒラへの降格と、自分が遣わされて間もないうちにベテル出身長老が遣わされるということに、プライドの高い彼は耐えられなかったのでしょうか。


新しい長老が入ってきてから2か月ぐらいでしょうか、夫婦でこれまでもずっと奉仕(遊び?)していた外国の会衆へ戻っていきました。


会衆の必要も親の世話も放り出して1年も経たずに外国へ。

 

いったい何のため誰のために仕えているのでしょうか。


 

私たちに関わった残り2人の長老たちの1人はその後、大会で模範的な長老夫婦としてインタビューに応じ、今後の目標として「外国での奉仕を目標にしたい」と述べ、彼ら夫婦もまた、必要としてこの会衆に入ってから1年ほどで外国に去っていきました。

 

彼ら夫婦が会衆に来たばかりの頃一緒に食事をした時には、「自分たちは今流行りの外国での奉仕は考えていない。この会衆に来ることになったのは本当にエホバだと思った」と言っていました(結果1年でさようなら)。

 

しかもM長老のつてを頼って同じ国に行きました。


残りの1人の長老も、しばらくしてから国内の別荘地として有名な土地の会衆に、家族で「必要で」出ていきました。


そのようにして私たちに関わった3長老たちは次々と、みなさん逃げるように去っていきました。


 

この会衆での数々のおかしな扱い、私たちへの扱いやその直後の会衆の必要での脅しなど、色々と会衆を凍りつかせてきた3人ですが、特に新しく長老が来てからは居場所がない感じになり、居づらかったのでしょう。

 

3長老は会衆から冷ややかな目で見られていました。

 

長老の権威を守ろうと必死になっているように見えました。

 

私の奉仕の僕の削除後の「凍りついた会衆の必要」ですが、記事に書いた全文朗読の会衆の必要、実はその時が初めてではなかったんです。

 

私の件より1〜2ヶ月前でしょうか。

 

会衆の成員から尊敬されていないと感じたのか、「長老の権威を認めるべきなのはなぜか、なぜ長老に敬意を払うべきか」という内容の記事を会衆の必要で朗読したのです。

 

しかもやはり大きな声で威圧的に資料を朗読し、一切話しをせずに資料を読むだけの会衆の必要で、成員は静まり返り固まりました。

 

そんなやり方ですから、普段の集会のプログラムの時も多くの成員はずっと下を向いて顔を上げず、笑いを取ろうと変なことをいってもニコリともせずうつむいたままです(だって本当に笑えない)。

 

しかしそんな彼らでも国内外の移動先では、「必要で」来てくれたと歓迎されるのでしょうね。

 

そういうことがあちこちで繰り返されているのだと思います。

 

成員にひどい扱いをするような長老たちが、また新しい会衆でちやほやされて迎え入れられることになるのでしょう。


 

長老による不公正に悩まされる時、よく「エホバを待ちましょう」「エホバが正される」と言われますが、それを真に受けるとずっと苦しむことになってしまいます。

 

よっぽど何かをやらかさない限り、そういうタイプの長老は巡回監督を始め組織とうまくやっていくポイントを抑えていますので、降ろされることはまずありません。

 

居づらくなると会衆を移動して心機一転ということの繰り返しです。

 

もちろん尊敬できる優しい長老もいます。

 

しかしそういう方は、良心の呵責から組織の「奇妙な指示」に従うことや成員にそれを強いることができなくなり、そうした言動が「反抗的」「組織に不従順」とみなされ、何かと理由をこじつけられて降ろされるというケースが多いように思います。

 

人として信頼できる人ほど長老を降ろされたり、心身に不調をきたしたりして降りざるを得なくなったというのをよく見聞きします。

 

上手く立ち回る組織人間は残り続けます。

 

これがずっと見続けてきたエホバの証人の組織の現実であり、その傾向は加速しているように思います。


 

さて、会衆や長老団がごたごたになったこのタイミング、私が卒業して会衆から去るにもちょうど良いタイミングだと思いました。

 

新しく来た長老とすれ違いのようなタイミングで卒業することになります。

 

次回は私が卒業前に集会に通った最後の時期、その頃の心境を書きたいと思います。