審理委員会のような突然の牧羊から3週間ほど、1度も集会に出席しなくなった妻に会衆の人々も「Fennel姉妹、何かあったのかな…」と気づきはじめました。
「姉妹、調子悪いんですか?」と聞いてこられるわけですが、「そうですね…」と具体的に答えることができないので、何かあったんだな、ということが分かってしまう感じでした。
そして私の奉仕の僕の削除が巡回監督により承認され、次週の集会で発表されることになりました。
妻は「その発表をFennel 一人で聞かせるのはかわいそう…私も一緒に行ってその集会を最後に卒業するね。」と言いました。(優しいなぁ)
あの3長老を目にするだけで拒否反応が起きてしまうのではないかと心配し、無理しなくていいよ、と言いましたが、もうこれっきりだから大丈夫、とのことでした。
ついに妻の卒業の日が決まりました。
妻はあの牧羊を最後に集会に一度も出なくなり、3週間休んでいたところです。
行こうかどうか迷って行かなかったというものではなく、登校拒否のように、心身が受け付けなくなって行けなくなってしまった、という状態です。
ですから妻はこのままもう二度と来れないだろうと思いましたが、最後にその発表の集会に出席してくれることになりました。
私と妻は同時に卒業しないのでしょうか?
卒業は同時にと思っていましたが、同時に去ると周りへの影響が大きいことや、同時にスパッと辞めることにより「断絶」の意思表示と思われるとややこしくなると考えました。
それでまず妻が卒業し、少し間を置いてから私も卒業しようと決めました。
集会が始まると同時ぐらいに到着し、一番後ろの席、私たちの良き理解者である年配夫婦の隣がちょうど空いていて、座りました。
その日はたまたま私が聖書朗読の割り当てが当たっていました。
「第2の割り当て」という言い方だったでしょうか。
聖書朗読の前後に話をするパターンから聖書朗読だけになりましたが、小学校2年生から、この割り当てを何百回も果たしてきたことになります。
奉仕の僕削除後は仮に何か割り当てられても全て辞退するつもりでしたので、これが最後の割り当てとなります。
朗読の割り当てが始まりました。
聴衆の皆さんは直後にそんな発表があるとは思わずに私の朗読を聴いています。
子供の頃から果たしてきたこの朗読の割り当てですが、今までで一番丁寧に、一字一句心を込めて読みました。
これで最後なんだな…という気持ちで読みました。
そんな特別な気持ちが伝わったのかは分かりませんが、朗読の間、とても会場が静まり返っていたような気がしました。
そして会衆の発表のプログラムが始まり、いくつかの発表が行われました。
そして発表の最後に、M長老が「Fennel兄弟は奉仕の僕として奉仕しておられません」と言いました。
会場内がシーンと静まり返りました。
出席者全員が一瞬同時に息を飲んだのではないか、という無音状態になりました。
そしてその後何事もなかったかのように後半のプログラムが進んでいきました。
このような発表をされて、苦々しい気持ちや恥ずかしい気持ちになるのが自然かもしれません。
そういう気持ちもゼロではありません。
しかし不思議と、なんとなく清々しい気持ちになっていました。
もちろん削除に至るまでのやりとりや長老たちによる扱いは、到底納得できるものではありません。
しかし削除が公に発表されたことで、
(そうか、もう演壇から苦しい気持ちでプログラムを果たす必要はないんだ)
と感じました。
そのような、「無理して自分を偽ること」から解放される…
そういう清々しさだったのでしょう。
この時の、肩の荷が降りるというか、心がスッと軽くなるような感覚はとてもよく覚えています。
そして同時に、妻の人生最後の集会が終わろうとしていました。
私は朗読の割り当てをしましたので、本来なら残って神権宣教学校の監督から助言をいただく必要がありますが、それを受けずにすぐ帰るつもりでした。
賛美の歌と祈りが終わりました。
妻が隣に座っていた友人年配夫婦に、
「私は今日で卒業します。」
と一言述べて礼をし、二人で静かに会場を出ました。
その年配夫婦が見送ってくれました。
「そんなこと言わずに、また待っていますよ。」と声をかけてくださいました。
妻に、最後に王国会館を出た時の気持ちを聞きました。
未練や寂しさのような気持ちは全くなく、この偽善的な組織から距離を置けるんだ、あの虚しい活動をもうしなくていいんだ、という爽やかさと解放感でいっぱいだったそうです(妻らしい)。
妻が覚醒してから3年近く経っていたでしょうか、ついに卒業の日を迎えることができました。
こんなに早く卒業できるとは思いませんでした。
約40年も続いたJW生活からの卒業、入念な準備をして5年以上はかかるだろうと思っていましたが、それより先に限界がやってきて、自然に事が進んでいきました。
私も妻と王国会館を出る時、清々しさと安心感のような気持ち、もう妻に辛い思いをさせずに済むんだ、という安堵の気持ちになったのを覚えています。
あっという間に6年近くたちますが、鮮明に思い出しますね。
ひとまずFennel妻さん、卒業おめでとうございます!