会合から2週間ほどして、私は集会後に長老たちに呼び出されます。

 

M長老ともう一人の長老に、第2会場で向き合いました。

 

前置きもなく、M長老が言いました。

 

「長老団はFennel兄弟を奉仕の僕から削除することを決定しました。以上です。」

 

そう言って立ち去ろうとしたのです。

 

私が(その一言だけ?)と呆気に取られて固まっているのを見て、もう一人の長老が「それはあんまりです、理由を説明された方が…」とM長老に言いました。(そんなことを言ってくれるとは驚きました)

 

席を立ちかけたM長老が座り直して言いました。

 

「理由は、長老たちへの不信感です。」

 

降ろされることは予測はしていたとはいえ、あまりに簡単な報告だけで済まされるところでした。

 

「不信感というのは具体的にどういうことでしょうか?」

 

「Fennel兄弟がこれまでの歴代の長老たちに抱いてこられた不信感です。」

 

「それは…新しく来られた兄弟たちご自身が、『何でも聴きますから遠慮なく会衆のことを教えてください』と言ってくださったので、話すべきかどうか悩みましたが思い切ってお話ししたつもりだったんですが…」

 

「ではFennel兄弟は、後になってからではなく、どうしてその時に長老に相談されなかったんですか?」

 

「おかしいと思っているその本人たちに相談するのは難しいと思われませんか?みんなそれができないからずっと耐えてきたんですが…」

 

「長老団と奉仕の僕は互いに一致している必要があります。これまでの長老たちについて話すFennel兄弟から長老に対する信頼は感じられませんでした。」

 

とにかく私を削除することはもう決まっているということは伝わってきました。

 

同時に納得いかない気持ちも沸き起こってきました。

 

長老と奉仕の僕が一致したくても、明らかにおかしいと思っていることが放置されていては一致は難しいと思います。

 

たしかに、覚醒した私はもう長老たちを無条件で信頼することはなくなりました。

 

しかし長老だからとすべての長老を批判しているわけでもなく、ただ自分たちの会衆で起きた長老たちの不公正な扱いなどについて率直に報告したつもりです。

 

過去に起きた不公正な出来事が会衆の一致を妨げていると思ったからこそ、新しい長老たちに知ってもらおうと思い切ってお話ししたということです。

 

これでは内部告発した人を、「内部告発したからクビにする」と言っているようなもので、世の中のブラック企業かそれ以下の扱いではないでしょうか。

 

私の中で二つの思いが複雑にせめぎ合います。

 

こんな不公正な扱いを黙って受け入れるわけにはいかない、この一連の長老たちのやり方を然るべき方法で訴えて闘いたいという思い。

 

もう一つは、この組織や長老たちを相手にボロボロになって闘う価値もない、とにかく自分たちが出来るだけ早く穏便にこの組織から去ることが最優先だ、という思い。


 

深呼吸して思いを整えます。


 

そうです、妻と覚醒してからというもの、自然消滅するタイミングをずっと考えていたのです。

 

私と妻の目的は組織や長老と不毛な闘いを泥沼のように続けることではありません。

 

こうしたタイミングを生かして、出来るだけ穏便に組織から去ることでした。

 

闘いを挑んでしまうと、穏便に去るどころか言葉を切り取られて「中傷」の罪で排斥扱いさえされかねません。


 

複雑な気持ちを抑えながら言いました。

 

「おかしいと思うことが解決されないまま一致するのは難しいと思うんです。兄弟たちもそういうふうに、これはおかしいと思う時もあったはずですよね?どうされているんですか?」と質問してみました。

 

M長ではないもう一人の長老ですが、驚きの回答の仕方をしてきました。

 

「Fennel兄弟はそれで一体何を立証しようとしておられるんですか?」

 

「???」

 

意味が分かりません。

 

「立証??参考に教えていただければと質問してるだけなんですが…」

 

すると長老はすごく上からな感じで「ではFennel兄弟はそのような時どんな聖句を思い浮かべられますか?」と言ってきました。

 

聖句なんて特に浮かばなかったので首を傾げていると、

 

「大事なのはそこでちゃんと聖句が出てくるかなんですよ。」と勝ち誇ったようにすらすらといくつかの聖句を引用し始めました。

 

聖句をたくさん暗記していることをひけらかすような、そして私を見下すような態度でした。

 

私は言いました。

 

「私も妻も30年から40年、この組織の中でそれなりに真剣に努力してやってきたつもりですが、先日の会合ではその尊厳を踏みにじるような扱いをされているように思いました。妻は帰宅後、そのことがあまりにショックだったのか背中に激しい痛みを訴えて起き上がれなくなり、救急病院に連れていって点滴をしたりCTをとったりしたんです。」

 

ちょっとびっくりした様子で「そうでしたか…長老たちはいつでも力になりたいと思っています。」と言いました。

 

人を殴っておきながら「心配しています、力になります。」って言っているようなものです。

 

「長老たちのことを話す時に敬意の欠けた言い方をしてしまったとしたら申し訳なかったと思います。ただ会衆の仲間のためも思って、兄弟たちなら公正に扱ってくださると思って、思い切ってお話ししたのに、こういう形になって本当に残念です。」

 

長老たちは何も言いませんでした。

 

途中から第二会場に入ってきた三人目の長老は、ずっと下を向いたまま一言も声を発しませんでした。

 

私は、「もういいです。こんな気持ちで奉仕の僕を続けることはできませんので。」と、奉仕の僕の削除を受け入れる旨の発言を最後にして、それで話し合いは終わりました。

 

王国会館から帰るとき、納得のいかない気持ちと、何か解放されたような気持ちと、とても複雑な心境だったのを覚えています。


 

ところが後日、この話し合いの最後の「もういいです。こんな気持ちで奉仕の僕を続けることはできませんので。」という私の発言が何ともひどい扱いをされていたことが分かります。


 

削除後しばらくしてからの巡回訪問で監督に牧羊された時に初めて分かったのですが、監督から「Fennel兄弟は長老たちに反抗的で、奉仕の僕も自分から降りると言ったことになっていますよ。」と言われたのです。

 

これは驚きました。

 

そもそも削除に関しては長老団で決められていて、理由も告げられずに報告だけで済まされるところでした。

 

「もういいです。」と言ったその部分が切り取られて、まさか「自分から降りた」ことにされていたとは…

 

削除を推薦する手紙はこちらが確認することもできませんので、長老たちの都合の良いように書かれていても分かりません。


 

こんな不公正な扱いが、山ほどあるのでしょう。

 

私はまだ排斥にはなりませんでしたが、こういうカタチで排斥に追いやられた方も沢山おられるのだと思います。


 

これが実態です。


 

そして削除となると承認も早いんです。

 

削除を告げられてから一週間後に長老から、「巡回監督から削除の承認が来ましたので、次の集会で発表しますがよろしいでしょうか。」と言われました。

 

「分かりました。でも一度もお会いしたことのない巡回監督なのに私の話も聞かずに決まるんですね。」と冷めたように言いました。

 

ちょうど奉仕年度の境目で巡回監督も交代したところで、まだ一度も訪問を受けていませんでした。

 

任命権者の巡回監督が本人に会いもせず話も聴かず、長老側からの情報だけで即座に削除の承認をするシステムに驚きました。

 

まだ一度も会ったこともないのに。

 

そしてその長老からの削除の手紙には「自分から降りた」と虚偽の記載があるのに。


 

今思い出しても複雑な気持ちになりますが、やはりその時点での一番の目的は組織を去ることですので、いわば長老たちの方からチャンスをくれたような形になったわけです。

 

その流れに乗らせてもらって、卒業を迎えようと思いました。

 

まずは一足先に、妻が卒業の日を迎えます。