前回の続きです。
「牧羊」ということで呼び出され、完全に審理委員会という雰囲気で始まった会合です。
今回の会合の趣旨や目的についての説明はただ一言、「今日は兄弟姉妹の霊的福祉に貢献できたらと思いこの場を設けました。」とだけでした。
「長老を神の経路として認める」という趣旨の資料を渡され、それを全部M長老が声に出して読みました。
長老は神の経路であり、神から権威が与えられており、どんな場合でも従順が求められるという内容の資料でした。
牧羊といいながら、にこりともせず威圧的で緊迫した雰囲気で長老3人全員に囲まれて、こんな資料を突きつけられました。
そういうことか、これまで一切私たちに何も言ってこなかったのに、やはり長老不信の容疑がかけられていてそのことを尋問されるのだと理解しました。
急に拘束されて取り調べが始まったような感じです。
一つ二つの質問に差し障りない回答をしたあと、ヘブライ4:11の聖句を開き、これを自分やクリスチャンの生活にどう適用されますか?と質問してきました。
(ヘブライ4:11 それゆえわたしたちは、その休みに入るために力を尽くし、だれも同じような不従順に陥ることがないようにしましょう。新世界訳、改定前)
資料からすると、どんな時でも長老に従順にすべきということを答えればいいものでした。
私は「ちょっとこの部分だけだとあれですけど…不従順になって祝福を失わないように注意する必要があるということでしょうか。」と渋々答えます。
妻も同じ質問をされました。
妻は即答しませんでした。
ものみの塔の研究記事と同じように、資料の通り答えることは簡単です。
しかし、これは「私はどんな時でも長老を信頼し指示に従います」ということ言わされる踏絵のようなものでした。
5分たち、10分たちます。
一切誰も口を開かないまま、20分たちます。
普通、人が人に何かの質問をして相手が答えにくそうに黙っている場合、質問の表現を変えたり、会話を挟んだりするのではないでしょうか。
3人の長老は誰も一言も発しません。
(なぜこんな簡単な模範回答が言えないんだ?チャンスを与えてあげてるのに、この踏絵が踏めないのか?)
長老たちのそんな心の声が聞こえてくるような、そんな威圧的な沈黙でした。
私はいたたまれなくなり「これ一体何なんですか!」と声を荒げたくなりましたが、全部記録され排斥の材料にされても厄介なので、冷静にと自分に言い聞かせました。
そして沈黙のまま30分ほどが過ぎ、ついに妻が口を開きました。
妻は「この聖句の一節だけを切り取って生活に当てはめるといっても…その聖句の前後の文脈も合わせてよく調べてからでないとお答え出来ません」と答えました。
妻のその回答に対してM長老は、「この資料の中から答えていただければいいんです。」と苛立った口調で言いました。
妻は再びしばらく考えた後、「資料にあることを答えるのは簡単ですけど…自分や生活にどう当てはめるかとなると…他の聖句や資料などと併せてじっくり考えてからでなければ簡単にはお答え出来ません。」と答えました。
妻は、踏絵を踏みませんでした。
M長老はそれ以上妻にはその資料から質問しませんでした。
本当に牧羊が目的であれば、文脈全体を見ないと分からないと妻が言っているのですから、「では文脈を一緒に考えてみましょうか」と言って、どういう流れでこの聖句の表現に至るのか、ヘブライの書をもう少し遡って文脈全体を見て説明することは、長老ですし容易にできるはずです。
それをしなかったのは、この会合が結局、資料をもとに討議して理解を深めることが目的ではなく、どう答えるかによって長老不信の度合いを測る審理であるということです。
後で、この長い沈黙の間どんなことを考えていたのか、妻に聞きました。
妻は、「長老が神の経路であると認め、どんな時でも従います。」とはそう思っていないから言えない、「認めていません」と言うと相手の思う壺だし、何か言っても彼らは言葉尻をとらえてくるだろうし…などと考えていたようです。
そして、一体この人たちは何なんだろう、言葉だけは助けたいと言いながら自分達の正義を押し付けているだけ…理不尽な仕方で組織の反抗分子と決めつけ、あぶり出そうとするこの組織のやり方は昔からずっと変わっていないんだなと、嫌悪感から吐き気を感じていたようです。
お前が口を開くまで絶対何も言ってやらないぞ、という本当に汚い、威圧的な圧力を感じたようです。
M長老はこういうやり方に慣れているようで、これまでの会衆でもこうやって問題を扱ってきたんだろう、という感じです。
人をこういう気持ちにさせるやり方を、自称「最高の教育」というMTで学ばれたのでしょうか?
普通、血の通った人間であれば、牧羊として呼び出したのですから、たとえ長老たちの間で私たち夫婦に長老不信の容疑があるとしても、もう少し人としてまともな接し方をするのではないでしょうか。
私がもし同じ立場だったらせめて次のように話したいと思います。
「長老たちはFennel兄弟ご夫婦が最近元気がないように見えるので心配しているんです。前回の話し合いの中でも、これまでの長老たちに躓いたことを話しておられましたね。言いにくいことを率直に話してくださりありがとうございました。その件に関しては、長老たちで引き続きふさわしく扱っていきたいと思います。
それで今回の牧羊では、Fennel兄弟姉妹に長老たちへの信頼を取り戻していただきたいと思い、参考にこの資料を用意しましたので一緒に見ていただけますか?」
もし本当に「仲間の羊を助けたい」という気持ちがあるなら、私だったらそういう接し方をしたいと思います。
さて、さらに私が質問されました。
「Fennel 兄弟は長老たちを神の経路であると認めておられますか?」
妻の沈黙の間にいろいろと考えていましたので、すぐに答えました。
「組織として秩序を保ちながら神のご意志を行なっていくために、長老たちが選ばれて用いられていることはもちろん認めています。」
「しかし、長老たちといっても不完全な人間ですので、長老だからといって無条件に100%信頼するというわけではないと思います。」
二人の長老が速記官のように私が言ったことをタブレットにメモしています。
M長老は、
「不完全で間違いをするから長老を信頼するのは難しいということですか?」
と言ってきました。
私は、
「そういうわけではなく、長老を絶対的な存在として考えてしまうと、長老が間違ったことを指示したときにも盲目的に従ってしまうのはおかしいんじゃないかということです。」
と言いました。
模範回答としては、
「たとえ不完全で時に間違いを犯すことがあるとしても、神の経路としての長老たちを信頼し、十分に理解できないことがあるとしても全面的に従いたいと思います。もし長老が本当に間違ったことをするとしたら、それは神が裁かれるはずですから、神に委ねるべきであると思います。」
ということなのでしょう。
決してそんな模範回答は言いませんし、思ってもいません。
私は、長老を無条件に信頼することが危険だということの根拠を示したいと思い、ここで児童性虐待の問題を持ち出します。
長老たちの顔色が急変します。
ところで今回の記事を書くにあたって、当時のやり取りを思い出しながら下書きして妻に読んでもらったところ、妻は「自分がどう答えたか確かめたい」と言って、ずっと封印して一度も聞いていなかったこの会合の録音を、ところどころ自主的に聴いてくれました。
彼らの声を聴くことは本当に気持ちが悪かったと思いますが、おかげでその時のやり取りを鮮明に再現することができました。
iPhoneの録音ですが、その際の張り詰めた緊迫感まで音を通して伝わってきたとのことです。
妻は気持ち悪さが蘇りはしたものの、この人たち、まだこの世界でこんな風に大真面目にやってるんだろうな…と思うとなんだか滑稽に感じ、気の毒な気持ちにもなったそうです。
私も聴こうかとも思いましたが、彼らの声や顔を思い出そうとするだけで、何とも言えないどす黒く激しい感情が蘇りました。
録音を聴くのは私はやめておきました。(妻の方がたくましい笑)
また続きを書きたいと思います。