前回まで書いた最後となった公開講演から、長老たちとはこれといった接触も会話もないまま1ヶ月近く過ぎました。

 

当時はまだそれで最後と思っていませんでしたので、そろそろ次の講演の準備に取りかかろうかとしているところでした(笑)。

 

長老の一人から週中の集会後に珍しく声をかけられました。

 

会衆の長老が総入れ替えみたいな形になり、まだ来てから半年も経たない40代の長老です。

 

MT卒なのでM長老とします。(一期か二期の卒業生、プライドの塊)

 

普段一度も奉仕も一緒にしたこともなく、接触といえばメールで事務連絡のみ、全く集会で雑談をしてたこともないのに、急に雑談をしてくるって怪しい雰囲気感じませんか?

 

そうです、少しだけ雑談をしたあと、「Fennel兄弟姉妹を牧羊できたらと…」やっぱりね、という感じです。

 

そのうち予定が合えば、みたいに流せる感じなのかな?と少し濁してみると、「今度の日曜日はどうですか?」と具体的に持ちかけてきて、出来るだけ早い方がいいということでした。

 

先に伸ばしても面倒だと思い妻に確認したあとOKし、早速その週末の日曜の夜、王国会館で牧羊ということになりました。

 

その週はちょうど私の夏休みで前半に旅行を楽しんできて、帰ってきた翌日の集会で牧羊のことを言われ、(夏休み最終日の夜に牧羊か〜)と、なんとも休暇気分の吹っ飛ぶ気持ちとなったのを思い出します。

 

それにしても、半年間一度も個人的に会話をしてこなかったM長老が、牧羊の予定という本題の前にする取って付けたような表面的な会話が、嘘くさくて嫌な感じでした。

 

半年の間、個人的にちょっと話す機会ぐらい、いくらでもあったはずだと思います。

 

こちらが好んでは長老たちと話したくないというのもあるとはいえ、M長老と話したのは、私がプログラムを果たした後に感想を述べてくれた時や、神権学校の助言者として割当ての後の助言ぐらいです。

 

一つ覚えている会話は、私はM長老の群れの補佐で、奉仕の司会をM長老不在の時にしたのですが、その奉仕に誰が来ていたか、全員の名前を聞いてメモしていたことです。(怖っ)

 

M長老を含めた3長老とはこの時点からは3ヶ月ほど前に、会衆の諸問題について話したことがありました。

 

その話し合いの後も、一対一でする会話は全くと言っていい程ありませんでした。

 

当時の私たちの状況は過去の記事でも書きましたが、妻は霊的な活動をほぼ卒業し、週末に私と二人だけで車で少し奉仕、週中にたまに闘病中の姉妹と車の援助で少し奉仕、集会にはほぼ欠かさず出席して仲の良い方たちと会話したりはしていました。

 

私はまだ奉仕の僕としてプログラムや講演はしていましたが、注解はだいぶ減って良心的に納得のいくことが言える時だけしていました。

 

群れの奉仕が個人の家で毎回集まりを開く方式になりましたが、自宅の提供は断り、集まりにも、群れの監督の代理で司会をする時以外は一切出席しませんでした。

 

私たちの群れの監督であり、毎回奉仕の参加者をメモっている程のM長老が、そのような状況にもかかわらず私たち夫婦に何の会話も質問もしてきませんでした。

 

奉仕に出てこない私たちに、「最近体調が悪いんですか?」という普通に心配する質問さえ、M長老からも他の二人の長老からも一度もありませんでした。

 

後から思えば、私たち夫婦が反長老、反組織分子であり、この会衆の長老不信を広めている中心と決めつけ、いかにしてその影響を取り除くかということを考えていたのかもしれません。


 

さて今回の牧羊は、長老3人全員同席ということでした。

 

こちらから相談があってお願いするような牧羊ならまだしも、順番で皆に行うような普通の牧羊であれば、長老と奉仕の僕の二人で来るとかが一般的だと思います。

 

今度の牧羊は3人勢揃いでということは、3ヶ月前の話し合いの続きのようなものかな、と勝手に考えました。

 

「長老団との話し合い」の記事にいろいろ書きましたが、せっかくあの話し合いの中で内部通報といえるほどたくさんのマル秘情報を提供したのに、その後3ヶ月間長老たちからそれらの件に関する何の話もなかったので、今回の牧羊でその後のことを話してくれるのかな、と思ったのです。

 

実際は、そんなものではありませんでした。


 

日曜の夜、長老3人全員揃っての牧羊(?)が始まりました。

 

最初から笑顔もにこやかな雑談もありませんでした。

 

(ん?これ牧羊?)と違和感を感じました。

 

M長老が司会のような感じで話しはじめました。

 

前回私が提供した会衆や長老の諸問題のことについて、いろいろその後の検討結果を情報提供者に話してくれるのだろう、そのように少し楽観的に考えてやってきた私には、次の言葉で「え?」となります。

 

前回あれだけ話した重い重い内容に関しては、「先回のお話は長老団で預からせていただきます。」の一言で終了。

 

「今日は、Fennel 兄弟姉妹の霊的福祉のためにこの場を設けさせていただきました。」と述べ、過去の雑誌の記事をプリントアウトしたものをまず一枚渡されました。

 

妻は、今回の牧羊に関して最初から私の楽観論には懐疑的で、これは何かあると感じ、最初からスマホで録音を開始していました。

 

M長老が話し、後の二人の長老は私たちの言ったことを全部メモろうというぐらいの速さで、タブレットに文字を打ち続けてました。

 

それだけで異様です。

 

さらに異様なのはM長老が最初に妻に質問したやりとりです。

 

渡された資料は「長老を神の経路として認める」という類いのものでした。

 

資料からの質問に妻が答えない(答えられない)でいる間、30分近くの間、長老たちは誰も一言も発せず、沈黙のまま30分が過ぎたのです。

 

「エホバの証人」という人たちと40年近く接してきて、これほど異様で氷のように冷たい空気を感じたのは初めてでした。

 

また続きを書きたいと思います。