年が明けて最初の投稿となります。
本年もよろしくお願いいたします。
最後の地域大会について書いていましたが、もう一回分書きたいと思います。
毎年行っていた自発奉仕を辞退して妻とともに3日間通いました。
それまでは早朝からの自発奉仕で疲れてしまい、まともにプログラムに集中することができず、ノートを取ろうとはするのですが、すぐにミミズの這うような字になってしまいます。
妻に横から覗き込まれ、「ミミズ書いたの?象形文字?笑」とお決まりのツッコミ。
一方で妻はいつも綺麗に整然とノートを取っており、なんと真面目なことに大会後「家族の崇拝」で復習をしていましたが、いつも妻のノートが頼りでした(笑)。
そんな私が「よし、今回は自発奉仕も無いことだしプログラムに集中してみよう。」と臨んだのですが…
改めてまともに聴いてみても、プログラムがつまらなすぎる…
話し手も若返りが目立ち、話も筋書きに忠実にというのが徹底されているのか、話し手の個性が感じられず、組織の言う通りに話しているだけのように見えました。
以前は良くも悪くももう少し話し手の個性が出ていたように思います。(演説口調で大声を張り上げるような困った話し手もいらっしゃいましたが…)
話の内容もいよいよ組織崇拝が加速し、聴いていて気持ちが悪くなりました。
もうノートを取るのはやめました。
そして大会の度に感じることですが、毎年キャンペーンをやって一般の方に「ぜひおいで下さい!」と言っておきながら、プログラムの内容は完全に信者を対象としており、初めての人が聴いたら到底理解できないような内向きの話ばかりで、それは不誠実ではないか、稀なこととはいえ偏見を持たずにビラを見て来て下さった方に失礼ではないか、と思いました。
3日間一応まともにプログラムを聴いてみて改めて、もうこの組織に居続けるのは心が受け付けないと感じました。
そしてプログラムが終われば妻と一緒にすぐに帰途につきます。
帰る途中、毎年共に自発奉仕していたメンバーの持ち場を通ります。
「お疲れ!お先に!」と肩をたたいて帰ります。
ちょっとしたひとコマですが、組織の中から去っていく(といっても下っ端ですが)感覚を感じました。
自発奉仕メンバーの仲の良かった兄弟が「どうしたの?」と近づいて来てくれました。
親しくしていた兄弟だったので、「もういろいろ辞めようと思って」と言いました。
驚いていましたが、特にその場ではそれ以上は話さず、その兄弟は心配そうな表情で「がんばろう!」と見送ってくれました。
会衆が違う親しい人には「もう辞める」と直接的な言い方はしないまでも、誤魔化したりはせずになんとなく伝わるようにしました。
卒業が近づいているしるしです。
地域大会といえば、これまで子供の頃から全国各地を移動してきたため、かつての知り合いが突然話し手として登場してびっくりすることがありました。
小学生の頃西日本にいた時の主宰監督がスーパーアリーナのスクリーンに映し出され、25年ぶりぐらいにお姿を拝見しました。
東海地方で中学生の時に親しくしていた家族の、二つ年上の兄弟も登場しました。
当時は髪をリーゼントにしたちょっとヤンキー風の普通のお兄さんでしたが、その後若くしてMTを出て出世したのだろうという感じでした。
覚醒前でしたが、そうした懐かしい兄弟を会場で探して旧交を温めようという気持ちにはなれませんでした。
どこかでこの組織の本当の一員にはなりきれない、冷めた自分がいました。
冷めたといえば、スーパーアリーナ会場での座席の争奪戦を目のあたりにした時は引きましたね。
一部の自発奉仕者が開場前に席を取ることが許可されていた時期があり、8時前に席を取らせてもらい、8時に開場した時の会場内の様子を見ることができました。
長い列の中の方の席は出入りが大変なため、通路側の席から埋まっていくのは自然なのですが、広い会場の中でも、特に人気の高いエリアがあります。
ステージが見やすくなおかつ一列に2席から4席しかないような、出入りもしやすいエリアが少しだけあります。
そこに向かって開場したとたん、大勢の人が猛ダッシュで走っていきます。
さらに驚くのは次の瞬間です。
ダッシュするだけでなくその席に近づくと、その席にカバンを投げて確保するのです!
もはや狂気の沙汰ですね。
私はステージからはるか遠い上の方の薄暗〜いエリアが好きで、そこが一番落ち着きました。
そういうエリアはそんな人が集まっていて、緩い雰囲気で寝心地も良く、会場が盛り上がっているときもその周りは冷めており、今思えばすでに覚醒していた人たちが多かったエリアではないかと思います。(笑)
最後の地域大会について思い返してみたら、3回分の記事になってしまいました。
次回はちょうどその頃に当たっていた最後の公開講演について書きたいと思います。