前回はこれまでの地域大会会場を振り返ってしまいました。
その中でも一番長く通い、最後の会場となったのが、さいたまスーパーアリーナです。
毎回編成は変わりましたが、東京の一部や、群馬の沼田、栃木県の桐生など広い範囲から集まっていました。
駐車場は身体の不自由な方などが優先で台数が限られており、電車で通いました。
電車で大勢の兄弟姉妹と通うのはちょっと苦痛でした。
サラリーマンの私としては一般人の通勤客目線で見てしまいます。
気持ちが昂ぶった一部のJWの皆さまが大きな声で電車の中で話し、神権用語連発で一般の通勤客から怪訝な表情で見られていることに思いも及ばない様子。
久しぶりに友人とばったり再会して興奮するのも分かりますが、会場内ならともかく、公共の交通機関の中では…
自分たちだけの世界に浸ってしまい、通勤客の動きの邪魔になってしまってることにも気づきもしないご様子。
同じと思われたくなくて電車の中ではバッジを付けずにいました。
さて、大会といえば自発奉仕でした。
奉仕の僕以上でないと自発奉仕できない時代でしたので、しばらくはずっと仕事なしで夫婦で通っていましたが、再び奉仕の僕になってからは駐車場部門で働きました。
最後となった地域大会の頃から一部の姉妹たちも参加できるようになったようですが、大会といえば夫が自発奉仕で忙しく、夫婦別々で通うか、夫が終わるまでずーっと会場で妻が待っている、というパターンが多かったと思います。
私の妻もそういうパターンでずっと頑張ってくれていましたが、覚醒後の地域大会は、私がいない状況で他の姉妹たちと一緒に通ったりすること自体、とても精神的に負担になっていました。
思えば大会の後の週は、妻は大抵風邪を引いたり体調を崩して寝込んだりしていましたね。
真夏の3日間のハードな日程自体の疲れに加えて、ストレスも大きかったようです。
それでもう今回からは、大会の自発奉仕をやめようと決めました。
これが卒業に向けて私がとった最初の具体的な行動でした。
「妻の覚醒」のタイトルで書きましたが、妻はその時にはもうほとんどの霊的活動を卒業していましたが、私はまだ奉仕の僕として務めを果たしていました。
以前のようには奉仕や注解をしなくなったというのはありましたが、具体的な行動としてはこの「自発奉仕をやめる」ことがスタートとなりました。
おそらく多くの兄弟たちにとって大会といえば、どこの部門でどんな自発奉仕をするか、ということは大きな関心事だと思います。
自発奉仕で体力と気力を使ってしまいプログラム中は睡魔との闘いになるわけですが、それでもやっぱり仲間たちと「仕事をしている」という感じがありましたし、自発奉仕がないとなんとなく「無職」という感じがしてさみしいものでした。
多少迷いましたが、覚醒状態でもうあらゆる限界を感じている妻を大会中実質一人にするわけにはいかないと思い、奉仕をお断りすることにしました。
当時の自発奉仕者の決め方は、部門の責任者からお誘いの電話がかかってくるのですが、早い者勝ちではなくある程度こちらから選んで回答できるシステムだったと思います。
それでいつもの駐車場の責任者や、新しく案内部門の責任者からもお電話でお誘いいただきましたが、「実は家族の必要で今回は自発奉仕自体を遠慮したいと思っているんです。」と伝えました。
それぞれの兄弟たちは「家族の必要が一番大切ですから、また状況が良くなりましたらぜひご一緒しましょう。」と言ってくださいました。
地域大会の自発奉仕は広い範囲の兄弟たちと知り合いになれ、中には話のわかる長老兄弟もいたりしてそれなりに楽しい面もあったのを思い出します。
さいたまスーパーアリーナは会場が大きいだけでなく、駅が近く周りの道も狭く、駐車場の出入りも難しく、大型バスの待機場所も狭く、同じ会場で別の一般の催し物もしてたりして、バス、車、出席者、一般の人の動きが交錯して色々と大変でした。
部門としての仕事がうまくいった時には達成感があったり、来年の課題が見つかった時は、「是非また同じメンバーで次はもっといいものにしましょう」という具合に、慣れたメンバー同士の連帯感もありました。
しかしどんなことでも、覚醒してしまえば、虚しいものになってしまいます。
この大会自体、この組織自体が虚しいものだと気づいてしまったからです。
そして同時に、久々に3日間妻と一緒に家を出て、プログラム中も昼休みも一緒にいて、一緒に帰るという当たり前のことが、いかに妻にとって安心できたかということがよく分かりました。
それまでの大会ではすごく妻にストレスをかけていたということが分かりました。
考えてみれば1年で最も大きな行事であり、3日間も続き普段行かない遠くの大きな会場まで行くようなイベントに、夫婦や家族がバラバラになるのが当たり前っておかしいですよね。
とにかく私が大会の自発奉仕をやめたことは、周りからすると、「姉妹の調子がかなり良くないのかしら?姉妹も、兄弟自身も最近元気ないし…」という感じだったでしょうか?(知らんけど笑)
結果的に最後の地域大会となりましたが、自発奉仕がない分プログラムに集中(?)出来たわけですが、覚醒しきった状態で聴く大会の内容は、本当に突っ込みどころだらけでしたし、映像やミュージックビデオが多用され始めた頃で、つくづく質も落ち軽くなったものだなと感じました。
翌年からは日本全国で大会会場が大きく変わり、大会ホールがメインとなり、スーパーアリーナも使われなくなりました。
たまたまですがスーパーアリーナの使用終了とともに私たちの大会の歴史も幕を閉じました。(お疲れさまでした!)
そして大会から1ヶ月足らずで、妻が一足早くJW卒業を迎えることとなります。
続きは来年になるでしょうか、時が過ぎるのが早いですね。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。