先回まで書きました長老たちとの話し合いから、3〜4ヶ月ほどの間に急速に事態は進み、妻が先に卒業、それからさらに3ヶ月ほどで私も卒業となっていきます。

 

そのいきさつについて書く前に、私自身がJWである家族にどのように話してきたかについて書きたいと思います。

 

私は、私が4歳の頃研究を始めた母、定年退職してから信者になった父、今も現役信者の妹と弟の5人家族です。

 

家族といっても住む地域は今はそれぞれ遠く離れており、私は結婚後は関東、両親と妹家族もそれぞれ何度か引越して今は中国地方、弟夫婦は海外と日本を行ったり来たりと、顔を合わせて会うのは2年に1度ぐらいあるかないかという感じでした。

 

ですから自分たちの霊的な活動状態についてつぶさに報告しているわけではありませんので、覚醒したとか辞めるとかそういう衝撃的な報告を突然するカタチになるわけで、どうしたものかと考えていました。

 

私は全て終わった後で「実は辞めた」と事後報告的に話すより、せめて家族には事前にやんわりと話しておきたいと思いました。

 

覚醒したのでそのうち組織から離れるだろうということを最初に話したのは弟だったと思います。

 

実際の卒業からは一年半前ぐらいの頃でしょうか、たまたま会えたタイミングで少し話したという感じです。

 

海外で奉仕していた弟が一時的に帰国して、JWである親族の家で夕食をしたときの短い時間でした。

 

私は親族も一緒だし今回そんな話はできないと考えていましたが、弟とソファーで話していたとき、弟がふと一枚の写真を見せてきました。

 

少し得意げに見せてきたその写真は弟夫婦とある年配の兄弟との3人の写真でした。

 

一緒に写っていたのはなんと、統治体のモリスBでした。

 

弟は独身時代、まだそんなに皆が海外で奉仕するようになる前の頃からパートナーと海外で奉仕していました。

 

結婚後はしばらく国内で奉仕していましたが、夫婦で外国で奉仕したいと思い、ある国の支部事務所に直接手紙を書き、来てほしいという返事をもらえたためその国で奉仕しており、そこで長老にも任命されていました。

 

その国の支部事務所を訪ねた際、たまたま居合わせたのかモリスBと話をして写真を撮ったとのことです。

 

普通でしたら「お〜すげ〜モリスじゃん!なんで一緒に写真撮れたん?何話した?どんな感じやった?」と食いつきぎみに反応することでしょう。

 

私はすでに覚醒して卒業の決意も固めており、当時ブロードキャストなどが始まり統治体の兄弟たちが急に前面に出てきたことにも嫌悪感を感じていました。

 

大切な弟がその嫌悪感の対象であるこの宗教のトップと同じ写真に写っていることが、なんとも悲しいというか、吐き気を催すというか、そんな複雑な気持ちになって、「モリスじゃん」と言っただけでスルーしてしまいました。

 

そんな反応に弟は「あれ?」という感じでしたが、私も自分の気持ちを取り繕うことはできず、思わず「最近ねえ…統治体の兄弟たちが胡散臭いんだよね…」と言ってしまいました。

 

弟は「え!?そう?」と驚いた反応をしていましたが私は続けて「もうさぁ、この組織に見切りをつけようと思ってるんだよね。」とさらりと言いました。

 

弟は「A長老のこと?」(以前の記事で書いたどうしようもないA長老のことを弟に話したことがありました)と言ってきました。

 

私は「ん〜というかもう前から完全には信じきれてなかったんだよね、この組織とか教理そのものとかね。今すぐ辞めるってわけじゃないけどな。」と言いました。

 

弟はびっくりしていた感じでしたが、親族たちもいたので話はそこで終わってしまいました。

 

その後の雑談の中でおばが「最近は統治体の兄弟たちが前面に出てきてくださって素晴らしいわぁ〜」と心底うれしそうに話したときには「まじか!?」と思いましたが、信じきっている人はそういう風に感じるのか…とあらためて感覚の違いを感じました。

 

弟とはその時それ以上話は出来ませんでしたが、後でメールで「気持ちは尊重するけど組織に見切りをつけるということに賛成はできない」ということが書いてありました。

 

詳しくいきさつを話すことは出来ませんでしたがまず今の思いを伝えることができました。

 

少し年の離れた弟は、父の反対が強く家庭内が一番荒れていた時期はまだ小さくてあまり記憶がなく、末っ子で可愛がられて兄弟3人の中では一番伸び伸びと育ちました。

 

私も弟といつも一緒に遊び、二人ともサッカー大好きだったので公園でサッカーのシュート練習をし、サッカー日本代表の試合を観て絶叫して応援していました。

 

弟が多感な高校生の頃、私は奉仕の僕、開拓者として会衆内で中心的に働いていました。

 

弟は霊的なことにあまり身が入らず、集会ではすぐ寝てしまうし、奉仕にも私が無理やり連れて行くこともありました。

 

弟は人当たりが良く学校でも人気者でスポーツも万能で女の子にもモテるタイプだったので、会衆や家庭で厳しく締め付けたら学校の方が楽しくて確実に離れてしまうだろうと心配しました。

 

真面目でまっすぐな母とのバランスをとって、私は弟のすることや話すことを一切否定せずに何でも受け入れて弟の味方になりました。

 

兄弟といえどもなかなか面と向かって深刻に悩みを打ち明けて心のうちを話し合うというのも簡単ではありません。

 

「さあ、何でも話しなさい」といって話してもらうものでもありません。

 

それで私は弟の部屋に一緒にこもり、ウイニングイレブンというプレステのサッカーゲームで白熱した試合をしながら何でも話を聴きました。

 

試合に負けた方が「もう一試合お願いします!」と頭を下げて再試合、それをエンドレスに繰り返し、画面上ではハイレベルなプレーを繰り広げながら、いろいろな悩み相談をします(笑)。

 

会衆の中での悩み、学校で彼女ができたこととかも…。

 

その後私は家を出て弟とは別々になりますが、弟は多感な時期を乗り越え組織に留まり、会衆内でも多くの人から愛される存在となり、常に親友と呼べるような友人に囲まれて、楽しいJW生活を送ってきました。

 

外国での奉仕をしたり、国内では深刻な災害の被害を受けた地域の会衆に異動したりと、たくさんの会衆で、その度に家族のような親しい友人ができ、慕われている様子が伺えます。

 

弟にはこの組織を辞めるように勧めるつもりはありません。

 

JWとして幸せな人生を送っているからです。

 

ただ人情派の弟が、組織からの奇妙な指示との間で板挟みになり、心身共に疲弊してしまわないか兄としては心配しています。

 

慕われるゆえに、会衆の成員からの相談事も多く、その中には手に負えないような病的な相談も含まれているわけで、体がいくつあっても足りないように見えます。

 

以前久々に会った時は身体がガチガチに凝っていたので全身をマッサージしてあげました。

 

弟に限らず一定数、本当にこの組織の中でもたくさんの良い友人に囲まれて、そうした人たちのためにもと一生懸命に頑張っている長老たちがいることも事実です。

 

幼なじみの友人もそうした長老の一人で、今も時々連絡を取っています。

 

ただこの組織やその指示はますます歪んでいっているため、そういう人たちにしわ寄せがいき、心身が潰れてしまうのではと心配します。

 

今回は弟の話になりました。

 

同じぐらいの時期に両親や妹にも話をしました。

 

またそのことについても書きたいと思います。