新しい年、飛ばし記事が続いたので、日常の穏やかな記事を😘今年は寒い日が多い中、外では相変わらずの冬のガーデニング。この季節はやはり葉牡丹が1番美しい。お正月に色鮮やかな花が少ないことで品種改良が進んだらしい葉牡丹。


年末に大阪の四天王寺に行った折、珍しい葉牡丹が沢山あった。流石に持って帰るのが大変で諦めた。そういえば、あの市に3,000円で毛糸のパッチワークがあった。毛布ほどの広さがある手編みの毛糸のパッチワーク。やっぱり買ってくれば良かったな〜😂

大阪の四天王寺。聖徳太子が建てたという寺。仲のいいお姉様がいつも行かれていて、昨年末最後の弘法大師月命日に同行させて頂いた。毎月21日の大師会と、翌日聖徳太子の月命日22日太子会は、四天王寺のお祭りで市が出る。


なぜに聖徳太子と弘法大師が❓と思うのだか、若き日の弘法大師が崇拝する聖徳太子の元で修行をしたのらしい。この四天王寺も、蘇我馬子と物部守屋の戦いで、崇仏派の蘇我氏側についた聖徳太子が、形成不利を払拭すべく自らも四天王像を彫り、勝利した暁には四天王像を祀る寺として建立したそうだ。時は推古元年593年❣️聖徳太子20歳で摂政となったとのこと。と〜っても日本史〜😱😱😱(内容は日本書紀によるものとして、四天王寺HPより抜粋)


聖徳太子はしかし、この四天王寺内に敗れた物部守屋の一族も丁重に祀っている。参戦時、少年であった聖徳太子は物部守屋に怨みはなかった。その為滅ぼされた物部守屋一族の御霊を祀り、家来たちは寺の公人としたとのこと。守屋の御霊も太子の広大な慈悲に感激して、未来永劫この寺を守護したと。(境内のチラシにて)


お姉様が、私が昨年父を亡くしたこともあり、お参りして舎利を戴いたらいいよ♡と仰った。写真に写っている右側が舎利殿。毎日11時になると「舎利出」が行われる。


「舎利」とは釈迦の遺骨のことで、「日本書紀」によると推古31年、623年に新羅より舎利を贈られ、四天王寺に収めたとのこと。四天王寺では毎日11時に舎利職が舎利塔を開き、供養して参拝者の頭上と、亡くなった人の過去帳などお見せするとその上にも舎利を戴かせて下さる。(舎利殿内のチラシより)


私もあまりの知らないことに驚き、11時に舎利殿に入ると供養が始まり、順番にそのありがたい舎利を頭の上と、過去帳にしっかりと戴くことができました。何ともその不思議な雄壮な世界を、機会があれば是非ご堪能くださいませ🙇‍♀️🙇‍♀️💕


境内は相当広く、「元三大師堂」には大きな智慧の輪があり、合格祈願の護摩祈祷が厳修されていた。観ていたら本堂に上がることを許され、その護摩祈祷の激しさはこれまで観たことがないほど😂1人1人の祈り札を3回読まれ、火も燃え盛り、あれ程祈祷して頂くなら、勉強もしっかりせなばという気になりそう😂因みに、お1人で私学医学部6校くらい祈願される方がいらして、聴いてる方も「願わくば1つ、いや2つ、よろしければ3つ、、」と、色んな事が頭を過り、人ごとながら願わずにはいられなかったです🙇‍♀️🙇‍♀️💦


ととと、、書きたかったのは、その蚤の市というか、二日間開かれる市レベルだったんだけど😂素晴らしい四天王寺を無視してそこだけ書くわけに行かず🙇‍♀️💦


でもね、、ここは昭和30年なの〜😂😂😂という、アンティークというか、レトロというか、時が止まってると言うか、流石大阪というべきか🤔何から何まで、掘り出し物感すごいのよ〜😂昔のコップとか、ポットとか、昔のアニメキャラがそのままの古さで、とか、何もかもタイムスリップなすごさなんざますのよ〜😱😱😱


何だかわからんけど、電車で忘れられた傘とか大量に50円から売ってあったり、全国どこのかわからんような置物、彫り物、あ、お着物も沢山ありました😂😂😂


検索すると、なかなか有名な蚤の市のようで、これだけでも見てたら2.3時間かかりそうなので、改めてまた行きたいで〜す😍😍😍


今日はまったりと、今考えているツラツラを書こうと思ったら、四天王寺の話になってしまいました〜😂😂😂でもね、流石関西、歴史の生き証人❣️❣️いよっ😍😍😍と思いましたので、これからもまた寺社仏閣に行きましたらご紹介致しますね🙇‍♀️😘💕


ラストはこの前趣味で書きました、現在ハマっている「七宝焼ペン皿」の一部です😘💕

目の保養で癒されます。


それでは日跨ぎになりましたのでこの辺で😘


皆様も佳い夢を♡♡♡

明日も寒くても佳き日となりますように🙇‍♀️💕