2021.4.12(月)くもり☁️
昨日のNHKスペシャル 
記憶が新しいうちに記録しておきます🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

あまりにも辛いテーマで、いつもならこういう時はそっと消したりもするが、もうこの年になって、なんだか逃げられないような気がした。


学生時代「脳死を考える」という小論文を書いたのを思い出した。今から30年以上前、「脳死は人の死か」と騒がれ始めた頃で、机上の論文をかき集めて、医療者や倫理的観点からのディスカッションを読み漁った。その上で、いかにもな最もな小論文が書けたという自負があった。それ以来多分、テレビや新聞で観る程度だったと思う。


NHKプラスでは配信中だし、4.14(水)午前0:25から再放送がある。放送を1回観て、NHKプラスもまだうまく観れないので、その時点での視聴記録、不備があるのをお許し願います🙇‍♀️


今回紹介されたのは、3組のパターンであった。「臓器移植」を提供した2組。しなかった1組。敢えてブログに心象を書いておこうと思ったのは、望まずにその瞬間が目の前に来た時、それを体験した家族のそのままの記録だったからである。


上記の写真は、事故にあった9歳の男の子が、臓器提供をする前夜の家族写真である。男の子はいつものように、普通に学校から帰って遊びに行き、家の前の道路でトラックに轢かれてしまった。お母さんはすぐに駆けつけ、男の子は病院に運ばれた。


当初は、耳からの刺激に脳波の反応があり、脳は大丈夫だとされた。お母さんもホッとして、家族に大丈夫、と伝えたくらいだった。しかし、2日目から何回も事態が急変する。そして、脳波の反応が全くなくなってしまった。医師によると、脳の深い所からの指令がなくなり、脳波の波形がなくなることは、脳が回復する見込みが無いことを意味する。これが、脳死状態だそうだ。


脳死状態の時に、心臓など身体はまだ動いている。しかし、半日から遅くても2日後、とお父さんは言われたらしいが、心臓が止まり、人の死となる。


もちろんだが、突然のことに、家族は何もかも受け止められない。ただ、脳死状態に陥り、心臓が止まるまでもうわずかな時間しかないということ。


お父さんもお母さんも、思い出しても、涙ながらに話される。当然である。その姿は、誰にでも突然起こり得る理不尽さ、そして親としての言葉に出来ようもない思いが、飾らない言葉で発せられた。


男の子は、どこにでもいるような、明るくて元気な、そして負けず嫌いな男の子であった。直前のマラソン大会では、1位になるような子だった。お父さんには「お父さんと◯◯で1人だね(正確ではなく、2人あわせてパワーが発揮できる、というような言葉でした🙇‍♀️)」と言っていたのをお父さんは思い出す。


そこで、お父さんに「お父さん、僕まだ生きたいよ❣️生きたいよ❣️」という声が聴こえてきた、と。誰に言われた訳でもなく「臓器提供」という言葉が、頭をよぎった。


お母さんは、そのことを聴いた時、はじめはとても考えられなかった。けれども、命の期限を言われて、例え臓器の一部でも、息子は生きる事ができる。


上の写真のように、最期の一夜を過ごし、手形、足形もとった。彼の臓器は、5人の人に移植された。


男の子が小学校を卒業をするとき、妹さんが代わりに卒業証書を受け取った。そしてお母さんが、クラスメートに最後の手紙を読み上げた。


それは、心臓移植を受けた人からのもの。おかげさまで心臓は調子良く動いていて、感謝している、というものだった。卒業式の日、クラスメート達も、神妙にその手紙を聴いていた。


最後に、小学校を後にする、家族の後ろ姿が映された。家族は、何が正解だったか今でもわからない。でも、自分の人生は全う出来なかったけれども、5人の人生の一部となり、自分の経験出来なかった5人の人生を経験していくのだ、、、と思うようにしている、と。


あとお1人は、救急救命士であった男性が、部署異動になり、現場でなくなり塞ぎ込むようになり、自殺をされた。(途中少し抜けましたので不明瞭ですが🙇‍♀️💦)遺された奥様の話を中心に進められる展開だったが、男の子2人いて平和だった時間、塞ぎ込んでいたご主人への思い、止めきれなかった自責の念、、多くの思いに苛まれながらも、ご主人が阪神大震災の経験の後に、救急救命士を目指されたこと、当初を思い出して、臓器提供を決断された。息子さん2人も大きくなり、長男さんは看護師の道を選ばれた。「親父はそれで本望だったのではないか。遺された家族が、よくやってると言ってくれるのではないか」と、息子さんは言った。

最後は、不妊治療までして生まれた男の子。元気な男の子だったが、小学校に入る頃に不登校となる。お母さんは、彼との時間を充実させる為に、将来を嘱望された仕事を辞める。お母さんと2人で自転車で出掛けて、事故に遭ってしまった。事故の2週間前、男の子は不意に「お母さん、出かけたい❣️」と言って、大好きな観覧車に乗りに行く。お母さんは、臓器提供という判断をしなかった。お母さんがどれだけの思いであられたのか、想像を絶する。それでも、、今のお母さんは、不登校の子ども達を救う為の、カウンセラーの資格取得の勉強をされている。

「改正臓器移植法」から10年が過ぎ、家族の判断で臓器提供が出来るようになっている。日本臓器移植ネットワークは初めて「臓器提供」をした全家族に、アンケート調査をしたそうだ。突然脳死判定をされて、自然な死を迎えるのか、臓器提供をするのか。答える事が出来なくなった「本人の声」に耳を澄まし、大変な中で決断をする。

当事者の家族にとって、多分永遠にその答えは出ない。しかし、一方で、9歳の男の子によって、5人の人が助けられた。その臓器を摘出、移植した医師の声。それはまた、聴こえて来ない。

理不尽な変えられない現実というものは、本当に言葉にならない。それは、論文で語られるものでもなく、机上の空論でも、倫理一辺倒でもない。長い時間をかけて、ここまできた。現実にそのような事があっている以上、私達もまた知っておかなければならない。

「生きている」日常に、どんな思いをして、今を生きている人達がいるのかを。声なき声に思いを馳せ「生きている」ことの意味を、、、

重いテーマになり、申し訳ございませんでしたが、心に刺さり、残しておきたいと思いました🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️知ることもまた、大事なこと、、と思って下さいましたら、下2つポチッと🙇‍♀️

NHKプラスで配信中
再放送 2021.4.14(水)午前0時25分から


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