あまりにも辛いテーマで、いつもならこういう時はそっと消したりもするが、もうこの年になって、なんだか逃げられないような気がした。
学生時代「脳死を考える」という小論文を書いたのを思い出した。今から30年以上前、「脳死は人の死か」と騒がれ始めた頃で、机上の論文をかき集めて、医療者や倫理的観点からのディスカッションを読み漁った。その上で、いかにもな最もな小論文が書けたという自負があった。それ以来多分、テレビや新聞で観る程度だったと思う。
NHKプラスでは配信中だし、4.14(水)午前0:25から再放送がある。放送を1回観て、NHKプラスもまだうまく観れないので、その時点での視聴記録、不備があるのをお許し願います🙇♀️
今回紹介されたのは、3組のパターンであった。「臓器移植」を提供した2組。しなかった1組。敢えてブログに心象を書いておこうと思ったのは、望まずにその瞬間が目の前に来た時、それを体験した家族のそのままの記録だったからである。
上記の写真は、事故にあった9歳の男の子が、臓器提供をする前夜の家族写真である。男の子はいつものように、普通に学校から帰って遊びに行き、家の前の道路でトラックに轢かれてしまった。お母さんはすぐに駆けつけ、男の子は病院に運ばれた。
当初は、耳からの刺激に脳波の反応があり、脳は大丈夫だとされた。お母さんもホッとして、家族に大丈夫、と伝えたくらいだった。しかし、2日目から何回も事態が急変する。そして、脳波の反応が全くなくなってしまった。医師によると、脳の深い所からの指令がなくなり、脳波の波形がなくなることは、脳が回復する見込みが無いことを意味する。これが、脳死状態だそうだ。
脳死状態の時に、心臓など身体はまだ動いている。しかし、半日から遅くても2日後、とお父さんは言われたらしいが、心臓が止まり、人の死となる。
もちろんだが、突然のことに、家族は何もかも受け止められない。ただ、脳死状態に陥り、心臓が止まるまでもうわずかな時間しかないということ。
お父さんもお母さんも、思い出しても、涙ながらに話される。当然である。その姿は、誰にでも突然起こり得る理不尽さ、そして親としての言葉に出来ようもない思いが、飾らない言葉で発せられた。
男の子は、どこにでもいるような、明るくて元気な、そして負けず嫌いな男の子であった。直前のマラソン大会では、1位になるような子だった。お父さんには「お父さんと◯◯で1人だね(正確ではなく、2人あわせてパワーが発揮できる、というような言葉でした🙇♀️)」と言っていたのをお父さんは思い出す。
そこで、お父さんに「お父さん、僕まだ生きたいよ❣️生きたいよ❣️」という声が聴こえてきた、と。誰に言われた訳でもなく「臓器提供」という言葉が、頭をよぎった。
お母さんは、そのことを聴いた時、はじめはとても考えられなかった。けれども、命の期限を言われて、例え臓器の一部でも、息子は生きる事ができる。
上の写真のように、最期の一夜を過ごし、手形、足形もとった。彼の臓器は、5人の人に移植された。
男の子が小学校を卒業をするとき、妹さんが代わりに卒業証書を受け取った。そしてお母さんが、クラスメートに最後の手紙を読み上げた。
それは、心臓移植を受けた人からのもの。おかげさまで心臓は調子良く動いていて、感謝している、というものだった。卒業式の日、クラスメート達も、神妙にその手紙を聴いていた。
最後に、小学校を後にする、家族の後ろ姿が映された。家族は、何が正解だったか今でもわからない。でも、自分の人生は全う出来なかったけれども、5人の人生の一部となり、自分の経験出来なかった5人の人生を経験していくのだ、、、と思うようにしている、と。