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建物の前にあった説明板によると…
其中庵
自由律俳人として知られる種田山頭火は、国森樹明、伊藤敬治のすすめにより昭和7(1932)年にこの地に庵を結び『其中庵』と名付けました。
山頭火は、近郊を行乞しながら、この其中庵で『3八九』第四・五・六集、句集『草木塔』、『山行水行』、『雑草風景』、『柿の葉』などを刊行し、最も充実した文学生活を過ごしています。
昭和13(1938)年11月、新たに湯田の『風来居』に移るまでの6年間、ここで多くの俳友と交流を深めました。
現在の其中庵は、平成4(1992)年3月に当時の建物を復元したものです。
あら、何かしらね〜あの石は?
手前にあった説明板には、このように書かれていました。
寝牛の碑
この句碑は、山頭火没後10年にあたる昭和25(1950)年、大山澄太、伊東敬治、国森樹明などの友人等によって其中庵跡に建てられました。
其中庵に残された大理石の寝牛の置物にちなんで、栄山公園の谷間から形の似た自然石を運び出し、山頭火の師である荻原井泉水によって「春風の鉢の子一つ」の句が選ばれ、仮名書きで刻まれました。
平成4(1992)年3月、其中庵の復元に伴い、現在地に移設されました。
…ただの石にしか見えなかった
看板にあった絵は、その寝牛のもの。
本物は、小郡文化資料館に展示されています。
大きさは小さめの猫ぐらい…だったかな?
横になりたいぐらいの場所を見付けましたが、蚊が出そう。
別の看板には、庵の見取図がありました。
山頭火さんと親交のあった下関市の近木圭之介氏が作成されたものだそうです。
この見取図を元に復元されたのだとか。
庭に柿の木があります。前の記事で茶の木?と思っていたのは、柿の木?
石の祠まで復元されたのですね。
帰りに見付けました。
さぁ、建物の中に入らせていただきましょう。
戸は閉まっていますが、鍵がかかっているわけではありません。
開けちゃった☆
お邪魔しま〜す!土間はコンクリ。
まずは竈を見学。
何を作ろうか?水は水瓶から掬って使うタイプです。
すずさん家を思い出しました。鼻歌が聴こえてきそうです。
ふと気になり、天井を見上げてみました。
復元ですから、もちろん煤等は着いていません。
あ、めっちゃ猫が爪を研ぎやすそうな…
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