先月尾道市を訪ねた際、『文学のこみち』を歩いたRieruです★
そこには多くの歌碑や記念碑がありました。自然石に彫られているので味わいがあり、つい足を止めて見入ってしまいます。
『徳富蘇峰』、『前田曙山』、『正岡子規』、『物外』、『十返舎一九』、『金田一京助』・・・
『江見水陰』、『志賀直哉』、『林芙美子』・・・さて、お次は?
名は章、備中足守の人で医学に志し江戸に下って坪井信道、宇田川玄真らに師事し更に長崎に於いて研修すること三年 二十九才のとき大阪で開業して洪庵と号した。名声甚だ高く生徒、患者は門に満ち大阪を通る大名も必ず診察を受けたという。足守藩の侍医となりついで幕府の侍医を命ぜられ法眼に叙せ文久二(一八六二)年の初夏尾道に来遊したときの作である。
洪庵先生ー!・・・も、あの坂道を歩かれたのですね。
吉田松陰先生の記念碑は・・・無いですか。(←残念ながら尾道に関する書などは無かった模様)
巌谷小波
東京の人、おとぎばなし作家として児童文学につくした功は大きい。この句は、昭和七年、尾道を訪れた際この地の風光をよんだ数句の中の一つである。
『大屋根』・・・面白い表現ですね。
明徳を明らかにす
尾道市久保町の人、若くして上阪し実業家として大成したが、故郷をおもう念篤く、尾道市の上水道敷設、明徳商業学校創設なと尾道につくした功績はまことに大きく、その遺徳は永遠に仰がれる恩人である。
碑に刻まれた三文字は、その座右の銘であった。
三文字が読みにくくて・・・
かなりのお金持ちだったようで、『寄付王』とも呼ばれたのだとか。
市内には他にも記念碑が建っているようです。
寒暁(かんぎょう)に鳴る
指弾(しだん)せしかの鐘か
山口誓子(本名 新比古・・・ちかひこ)明治三十四年 京都に生れる。東大法学部卒業、三高在学中より俳句の道に入り『ホトトギス』『馬酔木』を経て、昭和二十三年『天狼』を主宰。句集をはじめ数多くの著作があり、現代俳句の旗手と言われる。
この句は昭和三十七年 尾道来遊の際、千光寺に詣で宿舎で鐘の音を聴いての作である。
・・・すみません、てっきり女性の方だと思い込んでいました!
アイタタタ
(『水原秋桜子』も女性方だと思い込んでいました!)