尾道に行きたかった女たち | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

今年の2月に、北九州市の門司港と下関市をTもっちゃんと旅行したRieruです
春帆楼の客室から見えた関門海峡が、妙に気に入ってしまいまして。
その流れから瀬戸内海沿岸の話になり、お互い広島県の尾道にはまだ行ったことが無いんよね、と・・・じゃあ、夏休みに行ってみましょうかね!

・・・義母の一周忌が過ぎるまで云々の話は、何処へ行った?


イテテ


(情が薄い嫁よのう・・・)


今回Tもっちゃんは、電車で岡山県から尾道駅へ。そこで車で来た私と合流・・・すみません、遅刻をしてしまいました。(ノーマルタイプの軽自動車だから←言い訳だから)
挨拶もそこそこに、すぐに千光寺公園の駐車場へ。駐車代は、一日600円也。
そこから千光寺へ向かう道中にある『尾道市立美術館』には、『ピングー』という懐かしいキャラクターが。



40周記念の『ピングー展』は、9月4日まで開催のようで、ラッピングバスも市内を走っているそうです。

わぁ〜、目撃したかった!どうしても見たかったので、後日検索して見ましたよ。

Tもっちゃんと、「ピングーの妹の名前は、何だったっけ?」なんて話ながら、近くにあった彫刻の前へ。


千光湧水

9.16 a.m.


  尾道には古代の歴史の謎が隠されている。尾道三山にある浄土寺、西国寺、千光寺が向島の岩屋山に向けて建立されている謎である。これらは鎮護安寧を願う大和朝廷の古代陰陽思想による景観デザインであると考えられる。ここ千光寺本堂も冬至の朝日が正面岩屋山から昇ってくるよう建立されていることが確認され、また千光寺山から謎の流水彫刻が発見された。この『千光湧水』も流水システムを取り入れ、また円筒部分から岩屋山が眺望できるよう、尾道の古代都市計画と連環して設計された。

2003年

尾道ロータリークラブ



ほ〜、流水彫刻・・・そんなものが発見されたのですね。興味深いです。

道中には、こんな根が。右側には、見えにくいですが、歌?が刻まれていました。



頼山陽


磐石座す可く松拠る可し

松翠かくる処海光露わる

六年重ねて来たる千光寺

山紫水明指顧に在り

萬瓦半ば暗くして帆影斜めなり

相傳う残杯未だ傾け去らず

首を回らして苦に諸少年に嘱す

記取せよ先生曽て酔いし処を



広島県竹原市の人、「日本外史」「日政記」などを著わし、明治維新の大業成就に寄与したところは大なるものがあった。尾道には文雅の友も多く、度々来遊したが、この詩は、文政12(1829)年、千光寺山に登ったときの作である。


頼山陽は、竹原の方だったのですね。・・・竹原市も未踏です。


その後、ゴム製のハンマーで鼓岩を叩きました。



ポンポンポンポン・・・


鼓岩から有名な画家たちが写生を行ったようです。



最近は、写生をしている人を見なくなりました。

たまたま居合わせなかっただけ?コロナ禍だから?手軽にスマホ等で撮影出来るからアトリエでの作業になる?

有名人の足型もありました。



駅前を歩けば、もっと・・・つい、自分の知っている有名人を探してしまいますね。


下り道が多いので、楽ちんです。



・・・逆に帰り道がしんどいとは、この時全く、微塵にも思いませんでしたよ。


ん?また何か刻まれていますよ。


小杉放庵


岩のまに
古きほとけのすみたまふ
千光寺山かすみたりけり


画家、本名 国太郎、日光に生まれた。初めは未醒と号し、大正2(1913)年外遊、帰国後、再興日本美術院同人となり二科会に参加し、次いで春陽会を組織した。絵は和洋を兼ねて一種の仙骨を帯び、和歌にも秀でていた。この歌は終戦後、尾道外来の時の作品。


春陽(しゅんよう)会は現在もあり、故郷には「小杉放庵記念日光美術館」があるようです。
検索して作品を拝見させていただきましたが、心が落ち着く、優しい気持ちになれる、というような印象を持ちました。



皆さんがこちらで和歌を詠みたくなる気持ちが、よ〜く分かりますね。

こんな景色を見ていたら、ついパノラマ機能で撮影したくなりますよ。



・・・実際はもっと、すごいんです!



アイタタタ


(動画の方が迫力あったか)