40周記念の『ピングー展』は、9月4日まで開催のようで、ラッピングバスも市内を走っているそうです。
わぁ〜、目撃したかった!どうしても見たかったので、後日検索して見ましたよ。
Tもっちゃんと、「ピングーの妹の名前は、何だったっけ?」なんて話ながら、近くにあった彫刻の前へ。
『千光湧水』
9.16 a.m.
尾道には古代の歴史の謎が隠されている。尾道三山にある浄土寺、西国寺、千光寺が向島の岩屋山に向けて建立されている謎である。これらは鎮護安寧を願う大和朝廷の古代陰陽思想による景観デザインであると考えられる。ここ千光寺本堂も冬至の朝日が正面岩屋山から昇ってくるよう建立されていることが確認され、また千光寺山から謎の流水彫刻が発見された。この『千光湧水』も流水システムを取り入れ、また円筒部分から岩屋山が眺望できるよう、尾道の古代都市計画と連環して設計された。
2003年
尾道ロータリークラブ
頼山陽
磐石座す可く松拠る可し
松翠かくる処海光露わる
六年重ねて来たる千光寺
山紫水明指顧に在り
萬瓦半ば暗くして帆影斜めなり
相傳う残杯未だ傾け去らず
首を回らして苦に諸少年に嘱す
記取せよ先生曽て酔いし処を
広島県竹原市の人、「日本外史」「日政記」などを著わし、明治維新の大業成就に寄与したところは大なるものがあった。尾道には文雅の友も多く、度々来遊したが、この詩は、文政12(1829)年、千光寺山に登ったときの作である。
頼山陽は、竹原の方だったのですね。・・・竹原市も未踏です。
その後、ゴム製のハンマーで鼓岩を叩きました。
ポンポンポンポン・・・
鼓岩から有名な画家たちが写生を行ったようです。
最近は、写生をしている人を見なくなりました。
たまたま居合わせなかっただけ?コロナ禍だから?手軽にスマホ等で撮影出来るからアトリエでの作業になる?
有名人の足型もありました。
駅前を歩けば、もっと・・・つい、自分の知っている有名人を探してしまいますね。
下り道が多いので、楽ちんです。
・・・逆に帰り道がしんどいとは、この時全く、微塵にも思いませんでしたよ。
ん?また何か刻まれていますよ。
画家、本名 国太郎、日光に生まれた。初めは未醒と号し、大正2(1913)年外遊、帰国後、再興日本美術院同人となり二科会に参加し、次いで春陽会を組織した。絵は和洋を兼ねて一種の仙骨を帯び、和歌にも秀でていた。この歌は終戦後、尾道外来の時の作品。
皆さんがこちらで和歌を詠みたくなる気持ちが、よ〜く分かりますね。
こんな景色を見ていたら、ついパノラマ機能で撮影したくなりますよ。
・・・実際はもっと、すごいんです!