先々月、とある方からお誘いを受け、下松市にある降松神社の上宮までお供させていただいたRieruです★
上宮へは3回目になりますが、“今年の”1回目は5月17日、2回目は5月29日・・・はい、2回参りました。
2回目は自ら応募したわけですが。(ということで、画像は両日混ぜこぜで貼らせていただきます)
楼門前には、磯部さん(海運業等で財を成した)が奉納された対の石灯籠がありました。
は〜、こんなところに!教えていただくまで、気づきませんでしたよ。
刻まれた文字は、よく判別出来ませんでしたが、寛延2(1749)年に奉納されたもののようです。
この石灯籠のすぐ近くに、興味深い石灯籠が建っていました。こちらも対になっております。
磯部さんの石灯籠が奉納された3年後の宝暦2(1752)年に、『卯歳男』さんが奉納されたそうです。
卯歳男!
奉納された年から推測して、正徳元(1711)年生まれだと『41歳』、元禄12(1699)年生まれだと『53歳』、貞享4(1687)年生まれだと『65歳』の男性だと思われます。(ちなみに奉納された年は申歳でした)
名前を刻むよりも、このような表記で奉納される方もいらっしゃったのですね。
磯部さんの石灯籠は、楼門から下に向かう階段の途中にもありました。かなり古そうです。寛延元(1748)年のもの?
懐かしい手水鉢がありました。
手水舎の壁に鏡が掛けられてあるなんて予想だにしなかったので、思いがけず映った自分に驚いた過去があります。
約7年前か〜・・・
手水鉢は明和3(1766)年9月に奉納されたようです。
表には奉納者の名前が刻まれており、『庄屋 原田善兵衛 出合村講中 磯部清右衛門』とありました。
この手水舎の近くに、ひっそりと建っている石灯籠もまた、磯部さんの名前が刻まれているようです。
どれどれ?
『磯部姓時栄』・・・下書きしなかったのでしょうか?
『栄』の字が狭い思いをしています。『姓』の字が無かったら、バランス良く刻まれたでしょうに。
この石灯籠も対になっているそうで、生垣の辺りに建っていました。
教えていただかないと、本当に気付かない場所にありますよね。
生垣が邪魔だな〜。でも、綺麗な生垣だな〜。でも、やっぱり邪魔だな〜。
・・・なんて思っていたら、2度目の参拝時に拝見すると、なんと生垣が刈られておりました。
・・・んなわけ無いじゃろうが。
アイタタタ
(圧迫感があったのが解放的になりましたね♬.*゚)