寛政2(1790)年3月に『林市左衛門政吉』さんが奉納されたもの。
『下松地方史研究 第58号』に寄稿されているK氏によると、林さん(林市さんじゃないですよね?)は西市の豪商らしく・・・西市は萩藩で、降松神社は徳山藩・・・鷲頭寺の住職さんが、徳山藩の寺社奉行に、寄進許可を願い出て許可されたらしいです。
え?藩を越えて寄進する際には願い届けを出さなくてはならないんですか?
狛犬さん(阿)②:「知らんよぉ。」
おお〜、相変わらず、モコモコしていますね!そして肩が前方に怒っている感じが強そうです!
4対もいるので、狛犬さんのことは①〜④表記ですみません。
モコモコの感触を確かめるH女史。
ええ筋肉です。(←ソコ?)狛犬さんのあの肩も、筋肉に違いない。(←マジ?)
拝殿前の狛犬さんとよく似ている、二の鳥居前の狛犬①さんの場所へ。
似ているというか、石工さんが同じ?奉納時期が、ひと月ほど早いです。
左側の吽〜さんは昭和に新しいものと取り替えらたようで、肩は怒っていません。
鳥居と狛犬さんの間に石灯籠がありますが、こちらは目立った傷は見当たりません。
阿〜さんの肩は、もちろん怒リまくっていました。
膝下が線上に彫られているのも特徴的ですね。
こちらは山田村からの寄進ですが、同じように徳山藩の寺社奉行に寄進願いを出して許可を得たようです。
疫病平癒祈願の為の寄進だったのだとか。
奉納した経緯が分かると、面白いですね。
さて、狛犬③にも会いに行きましょう。
狛犬さん③は、中宮へ続く道にある随身門の前にいました。
台座がかなり立派!
こちらは、昭和13(1938)年7月に奉納されましたので、昭和の石工さんが彫られているようです。
奉納者は、大阪の兼清氏とあり、ご夫婦?名前である『兼清平吉 兼清かめ』が刻まれていました。
郷里がこちらだった、というご縁で奉納されたのでしょうか。
狛犬さん(阿)③:「知らんがな。」
・・・ハイ、次!(←コラ!)
4対目は、中宮拝殿前にいらっしゃいました。
サイズはかなり小さいのですが、肩がちゃんと怒っていらっしゃいます。
結構登った場所にありますもんね。運ぶの大変なので、このサイズで正解!
狛犬(阿)さん④:「余計なお世話じゃ。」
アイタタタ
(建物もそうですが、当時の人々に頭が下がりますね)