広島(呉市)のFUTA★コレクション③ | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。

先日の夕方、飛んでいたコウモリを見たRieruです★

ちょこちょこと飛んでいて、可愛いですよね。
・・・シルエットだしね。


イテテ


(それがまたいい感じ)


ちょうど2匹飛んでいたし、(5匹だとなお良い?)良い事がありそうな気がしている単純な女は、今月の初めに広島県呉市に参りました。


『美術館通り』には、戦艦大和のデザインマンホールの蓋があり、これを目的に訪れる観光客も少なくないとか。



私も他分に漏れず、マンホールの蓋を求めて足を踏み入れました。



呉駅からだと、緩やかな上り坂になります。

『美術館通り』の名に似合う、オシャレ目な電話ボックスがありました。



その近くにあった、例の『戦艦大和の一生』をデザインマンホールの蓋は、大和を真上から見たような感じ。



『竣工時 昭和16(1941)年12月 金唐紙 入船の森』とあります。
この近くには『入船記念館』(旧呉鎮守府司令長官官舎)があり、建物内に貼られた壁紙『金唐紙(きんからがみ)』のうちのひとつの名前が、『入船の森』と名付けられていました。


行きは寄れませんでしたが、帰りにお邪魔出来たので直に拝見する事が出来ました。もちろん、レプリカですが。そこにあった説明には、このように書かれていました。


秋の草花やドングリ、イガグリをあしらったデザイン。長官官舎洋館部食堂の壁画に使われている金唐紙「入船の森」は、紙の博物館における調査の段階でも見本や版木棒が見つかりませんでした。そのため、修復は、長官官舎で発見された図柄を元に版木棒から復元し、金唐紙を制作しました。その際、図柄の名前がなかったこの金唐紙に、復元をした上田氏によって「入船の森」という名前が与えられました。

近年、イギリス王立研究所の講堂において、同様の図柄の壁紙が発見されました。イギリスにおいて発見された金唐紙には、日本製であることを示す刻印が発見されたこと、また、会社名(R&Co.、もしくはB&Co.)を記した刻印も発見されました。イギリスの「入船の森」には彩色がなく、金色をしたものでした。王立研究所では、この金唐紙を平成17〜20(2005〜2008)年にわたり修復。現在も同じ場所で公開されています。


え!イギリスに輸出していたということですか!

時期は、もちろん戦前でしょうが、大正?昭和初期?

明治22(1889)年に建造されたので、もしかして明治時代には?

大変興味深いですね。


このタイプのマンホールの蓋のデザインは3枚あり、こちらが2枚目になります。



『捷一号作戦 昭和19(1944)年10月 金唐紙フラワーロード』
(捷・・・勝利する、成功する、はやい、すばやい、近道をする、等)
『捷一号作戦』については、下記参照。(←丸投げか!)


『金唐紙 フラワーロード』についての説明は、このように書かれていました。

実をつけた花と、つるバラが二重連続模様になっているデザイン。廊下と玄関の腰壁に部分に使われています。


修復工事中、白い油性ペンキが塗られた状態で発見されました。油性ペンキを落とす作業を行いましたが、完全に落とすことができず、当初品の金唐紙の上にベニヤ板をはり、上から金唐紙を貼ることになりました。
同じデザインの版木棒が、(公財)紙の博物館に所蔵されており、本金唐紙は、紙の博物館の版木棒を使って復元しました。版木棒には、「明治三六年十一月二日登録済」「MADE IN JAPAN」と刻印されており、この金唐紙が明治36(1903)年に日本で作られたことがわかりました。

え!やっぱり明治時代のものでしたか。
この金唐紙も、海外へ輸出されたのでしょうか。

そして、3枚目には『菊水一号作戦 昭和20(1945)4月  金唐紙 草花と昆虫』と、ありました。



『草花と昆虫』の説明は、こちら。

食堂壁画は、クロス貼りにされていましたが、長官官舎時代の写真を見ると、金唐紙が使われていたことがわかりました。修復工事中に、調速器のスイッチボックスや、カーテンボックスの下から金唐紙が発見され、写真の裏付けをとることができました。


(公財)紙の博物館の収蔵品と照合作業をし、チョウのデザインが一致したことでオリジナルの版木棒を発見することができました。紙の博物館の版木棒を借りて金唐紙を復元しました。
チョウの他にセミやトンボといった14種類の昆虫と、草花があしらわれたデザインで、春をイメージしています。

春のイメージ・・・まさに、今の季節ですね。
この、『草花と昆虫』には、思い入れがあるのですが、またいつか。(←もったいぶらんでも・・・)

そして戦艦大和をデザインしたマンホールの蓋は、他にもあるらしいとのこと。



市街地を歩いてみると、いろんな『蓋』がありました。



あれや



これや。


小さいサイズの止水栓。

3つ並ぶと、可愛いさが増します。



『呉海軍墓地』近くにある長迫小学校付近に、あるらしい。



おっ、ありました!『大和のふるさと くれ』。



もう1枚ありました。『大和よ 永遠に』。



『美術館通り』にあったマンホールの蓋と同じ頃に設置されたようですね。

『大和ミュージアム』付近にも、2枚あるようです。今回は行かなかったので、またの機会に。


最後に、十字模様のものを。



記事を書き終えて一息ついているところですが(一息つくほどのものでもない・・・)、映画『この世界の片隅に』のデザインマンホールの蓋が無いことに気が付きました。



すずさん:「そりゃあ、無理よね!呉を舞台にした映画(邦画含む)は、ようけあるんじゃけぇ。うちらのだけを採用されちゃあ、悪いし・・・ほいでも、もし全部の映画をデザインマンホールの蓋にしたら、呉中のマンホールの蓋が大変な事になるねぇ。」


・・・ああ、『呉氏』の事をを忘れていました!彼なんてデザインマンホールの蓋に向いているんないですかね?



爽やかな青色系ですし、何より『クレ』バーで、『クレ』イジーですよ?


すずさん:「あがぁな、いなげな者(もん)が流行っとる?とはねぇ・・・呉も、随分変わってしもうたねぇ。」



アイタタタ



(個人的には2種類とも見てみたい!)