小島社を後にして、次の目的地である『神上(こうのうえ)神社』へ向かいました。
かなり古い石垣がありましたが、ここに昔住んでいた有力者(?)が造らせたもののようで。
その石垣を再利用して、田や畑に。
ふむふむと感心していると、猫レーダーが発令!
パトロール、お疲れ様です。F氏の猫レーダーは高水準なので、きっと先に見つけられたはず。
寄り道は続きます。
上の図の赤丸に、目的の灯籠がありました。
この灯籠、別の角度から見ると・・・
めちゃくちゃ怖いんですけど!結構な大きさがありますので、近寄る勇気はありません。
横を車で通る勇気もありません。当たり前ですが、元々傾いだ状態のものを建てたわけではないですよね。
また、別の角度から見るとフツー。うわぁ・・・
F氏皆さんに記念撮影を勧めていらっしゃいましたが、一緒に撮ってもらう勇気もありませんでした。
さぁ、今度こそ『神上神社』へ。
山からの水が綺麗です。
急な坂。
安定の最後尾。
途中、宝篋印塔?供養塔等が集められた一角がありました。
首から上が無いお地蔵さん、『・・・エ門』、『・・・右エ門』と刻まれた石等。
どのような由来で、どのような方たちが?石たちが語ることはありません。(←なんかの番組に影響され過ぎな件)
ふと、海の方向を見ると、周防大橋が見えました。
島は黒髪島?大津島も少し見えてる?
そろそろ、神上神社に着きます。
大きな木が目印ですね。
鳥居の前で、説明されているF氏。
狛犬(吽)さん④:「最後尾だと、説明が聞けんねぇ〜。」
確かに。でも、今更前に行くわけにもいかず・・・
神社については、説明板に、このように書かれていました。
神上神社
御祭神
主祭神 神武天皇(日本国第一代の天皇)
配祀神 天照大御神(日神、高天原統治の祖神)
月読命(月神、夜の国を治める神)
御由緒
神上神社は神武天皇の聖跡
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと・・・神武天皇)は、偉大な建国の御計画のもとに、舟師(ふないくさ)をひきいて、日向高千穂を進発され、長い年月と幾多の辛酸を経て大和を御平定、橿原宮(かしはらのみや)において我が国初代の天皇として御即位になった。
この神上(こうのうえ)の地は、天皇が日向御進発の当初、海上の遭難によってお立ち寄りになり、半年の間をお過ごしになった行宮(あんぐう)であり、御東行の途次、暫し安らかに憩われ、深くみこころに留め給うた聖跡である。
天皇は日向より筑紫国を経て海路内海を御東行中、周防灘に至り思わぬ風波に御遭遇、北の方へ吹寄せられたので、ほど近い小島(竹島)に御舟を留められた。この時天皇は御舟酔い甚だしく、島の対岸に漕ぎ入れてお休みになった。里人は種々の薬草を献じ御快癒をお祈りした。これを含まれると忽ち御快くならせられ、「我心たいらかなり」と仰せられ、里の名を「たいらの里」(平野)と命名された。
さらに、浪音のきこえぬ地でお休みのため、水際伝いに進まれると里があり、此の処の石に御腰をお掛けになるうちに夜が明けた。この地は海上より微かな光を見た吉兆の地であり、微明(みあけ・・・見明)という。
ここより山の麓をおのぼりになると、谷水の音が幽かにきこえる静かなところ、彼方に黒髪島 仙島などが夢のように浮かぶ瀬戸の海を眼下にした絶勝の小高い丘にお着きになった。
ここに假宮(かりみや)の御造営を仰せ出された。
天皇は、近い高根に登って四方の地勢をご覧になり御東行の道を御案じになった。この時、四匹の熊が地に伏し額(ぬか)づいたのでこの山を『四ツ熊の峯』(四熊嶽)と名付けられた。
およそ半年、この假宮で態勢を整えられた天皇は、「御舟は海の上を経よ、我は陸地を行かん」と仰せられて再び御進発、安芸国・吉備国を経て遂に大和へお入りになり建国の鵬図(ほうと)は成った。
天皇は、この神上の地に深く御心をお留めになり、御出発にあたって「朕何国二行クトモ魂ハ此ノ假宮ヲ去ラザレバ長ク朕ヲ此二祀ラバ国ノ守神トナラン」と宣(の)らせ給うた。
里人等はその御旨を畏み、假宮の地に祀宇(しう)を建立し、『神上宮』と称して斎祀し奉った。
皇室の厚い尊祟と、公卿・武門の深い崇敬
一、往古、当神社及び遠石宮の祭礼に、勅使として宇左津臣命を指し遣わされ、官者殿と称したが、文政年間、これに代えて木像随身倚像を奉った。
なるほど、黒髪島と仙島・・・
半年もおられたのですね〜。
肝心の狛犬さんは、なんと4対もいらっしゃいました!
天明・明治・大正・昭和の狛犬さんたち。それぞれ、個性的でございました。
少しの間、自由時間に。わーい、一の鳥居まで下りてみよ〜。ん?だれも一の鳥居まで見られない?あら、もったいない。
次の目的地『山崎八幡宮』に向かう際に、全員通るし。
アイタタタ
(お陰で参加者の方たちを撮らなくて良かったと思えば!)